【渋沢栄一・近代の創造】山本七平著 1987年初刊 2009年再刊 渋沢栄一が日本経済を変えた青年時代11年間の思想背景を描く 激変・混迷する今、再読すべき著作

尊敬する山本七平氏の著作

山本氏は、日本の思想経済を東洋思想、西洋思想から俯瞰した碩学の泰斗である。そして、日本経済の発展の仕組みを解明しようと多くの著作を残している。この本も、その一つである。
渋沢栄一がなぜ、民間の力で産業を起こし、その産業が日本の経済力と世界への広がりをもたらしたのかを丁寧に追いかけている。

現在世界経済は、コロナウイルス(COVID-19)騒動で混迷に突入している。この時点で【渋沢栄一・近代の創造】を再読することは、日本の近代化の原点に立ち返ることであり、グローバル経済の行き詰まりの解決の糸口を見つけ出すきっかけになると私は確信する。

渋沢栄一の11年間

(幕末)1863年「高崎城乗っ取りをクーデター」を画策し、実行直前に断念
(明治)1873年「第一国立銀行頭取就任」の11年間

尾高藍香(渋沢栄一の従兄)

栄一は7歳の頃藍香から学問を習った。藍香と栄一は10歳違いであった。
多読で四書五経を始め史記・漢書など読まされた。
藍香の教育は、暗唱はせず、面白いものを幅広く読み、必要な時にそれらを深く理解すれば良いという考え方であった。

郷土血洗島には領主 安倍摂津守がいた。

安倍摂津守は貧しい領主で、出費が嵩むと裕福な農家から御用金を調達していた。
栄一は17歳の時、父の代わりで御用金の呼び付けで出かけてゆくと、陣屋の代官が尊大に御用金をせびるのを目の当たりにして
「優れた人が尊重されず愚かな代官のような人間が巾を聞かせるのは、幕府の体制が悪いからだ」
と思い至る。
当時から、栄一は能力順位、能力主義意識を既に身につけていた。
山本氏はその思想の背景には石田梅岩の石門心学
「学問は生活学である」
を指摘している

徳川時代の武士の俸給は「米」

俸米制度であるからベースアップはない。

幕末1863年「高崎城乗っ取りクーデター」首謀者の一人

しかし、京都に探索に行った高崎城乗っ取り計画仕掛け人長七郎が京都からの帰着報告で中止になる。その時36時間の議論があったという。
お互いの意見をしっかり聞くという「36時間の対話」であった。
栄一はあくまでも決行を主張したが、最終的に長七郎の説得で「わかった」として高崎城乗っ取りは中止された。

その時の説得の困難さから長七郎は精神的におかしくなり、しばらくして、理由なく町人を殺してしまい、処刑される。

遠出で道中「漢詩を詠んだ」幕末の庶民の教養レベル

栄一は藍を売りにゆく道中で「漢詩を嗜む」教養があった。
(江戸時代は)庶民の間でも、識字率は高かったし、身につけている教養レベルは世界の中でも飛び抜けていた。

江戸時代は身分の流動性が高かった。

武士は御家人株を買うことで、金で買えた。
実際のメリットが少なかったので、商人からの移動は多くなかった。

徳川慶喜の家臣 平岡円四郎からお声がかかる。

慶喜が江戸一橋家に詰めていた頃に、藩財政再建に手腕を発揮。
そして、大阪の経済の仕組みをいろいろ学んだ。
大阪は1700年代には世界に誇る先進的な商品取引拠点であった。
米国も穀物の先物市場を創設する時に参考にしたと言われる。

目敏い商人たちは、 米相場情報をのろしや早馬で一刻も早く知らせて、買い占めや売り抜けに利用したこともある。それに対し、幕府はたびたび禁令を出したという。
当時の質札は(一種の証券として)全国に通用していた。
手形屋も(関西中心に)ビジネスをしていた。
後に、栄一は事前に大阪の会所や堂島の米相場の先物なども知識として持って欧州に向かう。

平岡円四郎は、才能に溢れ人とつるまない「開港派」
後に平岡円四郎は攘夷派に暗殺される

一橋家の財政改革に成功

藩札の兌換保証で市場から利息を得るモデルを創設
両替商に三万両を預け、いつでも金に変えられる藩札を発行し、木綿市場で商いを行う。最終的に市場からの利息を得るビジネスモデルを構築する。
栄一は経済的裏付けのない政策を嫌う

慶喜が将軍に、しかし栄一は幕臣を断る

慶喜からの依頼で幕臣は断るが、昭武のヨーロッパ行きに同行する。
栄一は当時電信機を知り、西欧の先進性には注目していた。
フランスの銀行家 フロリヘラルトにフランスの金融制度を教わっても驚かずに、内容を理解できた。

そして、フランスへ

栄一が渡仏後日本は戊辰戦争に突入する。
フランスでは夜会に参加して、お互いを尊重した意見交換を目の当たりにした。
そして、ナポレオン三世とも謁見する
パリ博覧会の展示を見て、日本は追いつけるのだろうかと心配した。

栄一は生涯「新しい情報を得たら、それに基づいて新しく判断を下す人」であった。

欧州で見たもの
スイスの民兵制
ベルギーの皇帝との「工業化」の重要性の話。
イタリアは印象なし
イギリス軍備誇示

欧州より帰国後の活躍

新しい技術を入れるには新しい体制が必要:それが「合本主義」

1868年(明治1年)
商法会所開設:一般公募で出資を募った 商業と銀行の合わさったものを設立
半官半民を藩は出資、民は経営
実務の経験が重用された。

予算なき軍費出費で大久保利通と大衝突
第一国立銀行創設へ
「須く理財を以て第一義とすべし」
米国のナショナルバンクと同じ「紙幣発行の会社を作るべし。
伊藤博文は英国を学び、栄一に賛同

渋沢栄一は「大蔵大臣」の座を断り「実業人・経営者」を選んだ。

「官尊民卑」打破思考には「合本組織」しかない

合本組織(株式公募組織)に学んだ雑務係が栄一の目指すところ
1873年(明治6年)「第一国立銀行頭取就任」
大久保利通と対立して官を辞す。

その後、三井からも三菱からも誘いが来る。
三菱の岩崎弥太郎から「二人で組んで、日本の実業界を牛耳ろう」と言われるが、「富は分配されるべきで独占すべきではない」と断る。

薩長による歴史観

戦前の歴史観は薩長によるもの
皇国史観:薩長史観 勤皇は薩長
それに対立するものは 会津:逆賊

慶喜は理性の人、人気が出ない
西郷は情の人、人気が出る
慶喜を裏切る薩摩:西郷

不易流行

渋沢秀雄(栄一の子)は栄一の不易流行を次のように聞いたという
「不易」:時代がどう変わっても一貫している詩の心
「流行」:その時々の時代感覚

渋沢栄一は不倒王である。

幕末・明治・大正・昭和を生き抜いてきた。
年齢に関係なく「新しいことを知り」「新しい考え方を取り入れた」

「先人に学ぶ」山本氏の21世紀へのメッセージ

中曽根首相が山本氏を「文化と教育の懇談会」のメンバーに指名。
山本七平氏の提言は 
21世紀の日本が学ぶべきことは「先人に学ぶ」こと

山本氏は、惜しむらく1991年に亡くなられた。
【渋沢栄一・近代の創造】の著作こそ、現在の混迷の世界hに必要な書であると改めて思う。
日本人の歴史に包括される、相互繁栄、相互支援、そして和の精神

人生100年大人の学びで、私たちは先人の素晴らしさを再確認すべきだと思う。折しもコロナウイルスの蔓延はグローバル化のあり方、都市集中のあり方の見直しを迫っている。
江戸という時代を見直すことはまさしく今やるべきであると【渋沢栄一・近代の創造】を読んで確信した。

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