【勤勉の哲学】山本七平著 1979年刊 PHP研究所 日本人を動かす原理2

日本人は、有史以来農耕民族として生活を営んできた。それ故、自然回帰に起因する思想とは馴染みが濃い。紀元後2世紀頃から大陸からの影響が強くなり、律令政治に取り入れられ、遣唐使の廃止(894年)まで中国文化、中国思想、政治体制まで多岐にわたる模倣が行われた。その後、政局は武士の時代へと向かい、【日本的革命の哲学】日本人を動かす原理1にあるように、「関東御成敗式目」が幕府の法令として取り扱われる。それも、中華思想の天に代わって天皇を据えるという、曲芸技で。そして、明治憲法公布まで「日本人の法体系として、隅々まで浸透した」のである。

勤勉の哲学では、(1979年という日本経済が驚異的な成長を遂げた時期に)経済的繁栄のバックボーンを歴史的に探すことから、2人の名前が上がってくる。
一人が武士出身の鈴木正三(しょうさん)(1579-1655)熱心な仏教信者で、42歳で出家した。「心学」を始め、ひとりひとりの心の中で、自分を知ることが最も大事なことだと教え、士農工商のそれぞれの立場で分(自分の役割)を尽くすことが人生での宗教的修行だと説いた。利潤追求は目的ではなく、その結果として起こる。

もうひとりは町人の石田梅岩(1685-1744)「商業の本質は交換の仲介業であり、その重要性は他の職分に何ら劣るものではない」という立場を打ち立てて、商人の支持を集めた。士農工商でのそれぞれの分に応じて働くことが「石門心学」を開く動機となり、江戸時代広く流布した商人道の背景となった。

山本氏は、Max Weberの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」との対比を目指した形跡があるが、残念ながら日本は「歴史的にも書かれた証拠が少ない国」なので、そこの論理形成には至らなかった。
多分、戦後の奇跡であった、日本の経済復興の精神的支柱を探す試みの一つだったと思える。結果的に、この著作が書かれた当時(1970年代)の経済成長は市場拡大に歩調を合わせたもので、日本はその流れに設備投資、資金配分をうまく舵取りできた。(これは、当時の外国銀行の日本市場分析の結果と一致する)

山本氏の【勤勉の哲学】は、現在でも仕事を目的化する風潮の背景となる「仕事こそ仏性」あるいは、持ち場での役割最大化「おもてなし」などにも痕跡を残す。
しかし、時代は「個人の役割分担の明確化」と「それらをまとめ上げるチームパワー最大化」へと大きくシフトしている。みんなが同じ「農作業」をしているときは美徳であったものが、今では大きな障害になっている。

強いリーダーシップが無い限り、働き方改革などできない。山本氏のこの著作は、1970年当時の「日本の強みを探す」作業の中で「時代が変わると弱みになる」日本人の労働観を浮き彫りにしている。人生100年時代の学びは、このような、視座の変化も含むのである。

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