【帝王学「倫理」25「決断」】杉浦重剛著 「倫理」より[YouTube]決断するむづかしさは誰でも持っていますが 歴史上の人物は、熟慮した後に スピードを持った決断で 偉業を成し遂げたというお話

人がが物事に対処するのは まず漏れなく十分に考えることです。 しかし、考え抜いた後は、難しいことがあっても 勇気を持って断行するべきです。 頭脳明晰で、善や美がわかってもためらって 決断がなければ頭脳明晰でも価値がありません。 優柔不断では何事もできません。 昔の人の言葉に「政治は決断にあり」とあります

過去の歴史を見ると、大きなことを成し遂げるのは 非常事態に、大英断をしているのです。 例をあげてみましょう 昔、天孫が大八洲に降臨されて、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと) 彦火火出見尊(ほこほほでみのみこと) 鸕葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと) は九州に居りました。 まだ大八洲は統治していませんでした。 そこで、神武天皇は決然と東征をお考えになり 年長者と臣下を集めて言いました 「東には緑に囲まれた良い国がある その国まで広げると国の中心ができる 行こうではないか」と。 皇族も臣下も同意して、神武天皇は水軍を出して 東征を断固として実行しました。
中心の島(本州)に出て行って政治・経済を行うというのは 考えとして天皇の英明なことはもちろんですが 大変な困難を乗り越え、実行するのは天皇の英断です。 言い換えると、大日本帝国の建国の大事業は 神武天皇の英断によって成し遂げられたのです。

景行天皇(12代)は身長3.6メートルの好男子でした。 非常に賢くて決断力がありました。 当時、周防や九州の部族たちが反乱を起こしていたので 中国地方から水軍を率いて九州に入り 日向の厚鹿文迮鹿文(あつかやせかや)らの強い賊達を 征定して六年で平和にしたのは英断があったからです。

神武天皇の第三子の日本武尊は、決心して熊襲を 討伐し、敵の巣窟に単身で乗り込み 首領の川上梟師(たける)を殺し さらに、東夷を征定しました。
その勇気と決断力は 驚くほど素晴らしいものです。

天智天皇(てんじ)は藤原鎌足と一緒に 蘇我入鹿父子を殺しましたが 当時の蘇我氏の勢力は強大で、やりたい放題でしたから これを倒すことは簡単ではありませんでした 。しかし、天皇と鎌足は決意して 皇極天皇の四年六月、三韓が貢物を持ってくる 儀式に乗じて実行しました。 
当日 蘇我倉山田石川麿が上奏文を読むときに 佐伯子麿たちが、入鹿を刺殺する段取りでしたが 上奏文が終わっても子麿は動きませんでした。 現場で怖くなってしまったのです。
天智天皇は、機会を逃さぬようにすぐに御殿に上がり 入鹿を刺殺し、悪の元凶を排除して皇室と国家の 安泰を図りました。 これは、大勇断の結果です。
それだけでなく、鎌足と一緒に大化改新を行い 我が国の政治の根本的な刷新をされました。 これも、天皇が英断されてできたことです。

桓武天皇も、果断な行動で大きな仕事をされました。
奈良の都が手狭になったので平安京に遷都されました。 延暦十三年には東の野蛮人が駿河から伊勢に入ってきたので 坂上田村麻呂に命じて東征して、その拠点を攻撃して 東の領土が平和になりました。

後三条天皇が、藤原氏の勢力を削いだことや 後醍醐天皇が北条氏を倒されたことや 明治天皇が徳川幕府を倒して、維新の大業を達成されたこと など、全て大英断によって成し遂げられたのは 申し上げるまでもありません。

臣下の例としては 源義経で、兵を使って戦うときの勇敢な決断で 次々勝利するのは見事です 。

北条時宗が元のフビライの圧力に屈せず 使者の杜世忠を龍口(たつのくち)で殺して 我が国の権威を示し、大軍を博多湾で撃退して 大勝利しました。
その決断力を後世の人が尊敬するのです

楠木正成は、後醍醐天皇の命を受けて行在所に 出かけて申し上げました 「陛下、私が死んだと聞かない限り 何もご心配なさらずに」
すぐに、勤王の武士たちを集めて旗上げし 千早城を拠点に八十万の兵を手勢で戦い抜き 北条氏の滅亡の原因となりました。
もともと、忠勇・知略に優れていたのですが 最初に、奮起して大決断したことがなければ 達成できなかったことです。

織田信長が、尾張で勢力の小さかった頃 今川義元が四万五千の兵で尾張に近づいた。 信長は、屈せずに、数千の兵で風雨にまぎれて 義元を攻め滅ぼして天下に名声を轟かせました。 これが、桶狭間の戦いです。 後に、信長が天下の過半数を平定したのは 桶狭間の戦いという大勇断があったからです

豊臣秀吉も状況に即応して、決断するのが 素早く、明快でした。
中国地方に遠征して高松城を囲み 毛利輝元、吉川(きっかわ)元春、小早川隆景らの 大軍と対峙した時、毛利氏が和平を申し出ても 秀吉は拒絶しました。
しかし、本能寺の変の知らせが来ると秀吉は使者を 毛利に送り、変を伝えて和議を申し出ました。 小早川隆景はその度量の大きさに感激して 毛利輝元に勧めて、秀吉と和議を結びました。
秀吉は直ちに兵を引き連れて戻り、山崎の戦いで 明智光秀を倒して、主君の仇を討ちました。 国を治める権力は秀吉のところに集まりました 。その時、織田氏の一族や沢山の武将がいましたが 皆、見ているだけで、秀吉だけが、とっさの判断で 重大事の処理を決めました。 柴田、瀧川、佐々(さっさ)たちが 全く及ばないところでした

徳川家康の家臣で一番勇断だったのは 井伊直孝だと思います。
かつて、井伊家の古兵に兵庫という人がいました。 戦場経験を積んできた人です。 ある日、直孝は兵庫を呼んで聞きました 「あなたは戦の経験が多いと聞いている 大将である私に伝えることはありませんか」 兵庫は懐から書き付けを取り出して 「大将は、命令にブレがないようにしていただきたい」 と言いました。 「その通りです。私は考えたことをそのままやるだけです」 と直孝は答えました。 兵庫は「私が長年考えてきたことはこれだけです 用兵で両天秤を使ってはいけません ほかに、申し上げることはありません」 と答えて、その書き付けを焼いてしまいました。
(注:この話は、井伊直孝が家康の直筆である伊達政宗に 与えた百万石の加増のお墨付きを、焼いてしまった という話を含めているのですが、 実際は直筆は現在でも仙台に残っているそうです 歴史とは奥が深い話ですね)

最近の話では、明治維新の元勲である 西郷隆盛、大久保利通らが決断する人として有名です。

外国の例をみましょう 。
後漢の明帝(めいてい)の時に班超という人がいました 帝は班超を西域に送り鄯善国(ぜんぜんこく)に着きました。 その時、匈奴の使者も兵を引き連れて 鄯善国で暴れまわっていました。 班超は三十六人の部下を集めて言いました 「虎穴に入らずんば、虎児を得ず」と その晩、匈奴の野営地を襲撃して焼き払い 使者と従者三十数名を斬り殺しました。 武功が鳴り響き、これから後には西域の武将たちも 班超の言うことを聞くようになりました。

魏の曹操は、袁紹(えんしょう)と戦おうとして 荀彧(じゅんいく)と郭嘉(かくか)に聞きました。 二人は、百パーセント曹が勝つと断言しました 「袁紹は、考えることばかりで決断しません ここで失敗しています しかし、我が君はやると決めたらすぐやります。 状況の変化に応じて即対応します これだから、仕掛けたことが勝つのです」 曹操はなるほどと思って 官渡(かんど)で戦い 袁紹を破り、北方の四州を領土にしました。
勝負が決断の有無、スピードにある ということです

唐の太宗は、たくさんの名臣を登用して 貞観の治(じょうがん)を行いました 。補佐した大臣で有名なのは 房玄齢と杜如誨(とじょかい)です。 貞観政要によれば 「玄齢は考え抜き、如誨は決断する」 と書かれています。 二人は太宗を補佐して見事な貞観の治世にしました。
徹底的に考えて、その後断行したら できないことはないでしょう。

西洋の例で見ると ナポレオン、フレデリック大王のように 非凡な決断があったのは言うまでもありません。
英国人クライブの例を取り上げます 十八世紀はインドで、英仏の競争が激烈でした。 1757年にプラッシーの戦いで英国の勝利となり 今のような英国領になりました。 この重要な戦いは ベンガルの土侯スラジャ・ドウラーと仏の連合の 五万の大軍と、クライブの三千の兵士の間で 戦われました。クライブは勇敢で強いのですが あまりに兵力に差があるので十六人の将校たちと 会議を開いて相談しました。 十六人のうち九人は戦いを延期、七人は即開戦でした クライブは一人で林の中に入り、一時間静かに考えました。 そして、先ほどの決議を破棄して、決然として兵を進軍させ プラッシーの勝利を収めました。

私が思いますのは、何かをする場合 まず、考え抜くことです。
そして、断行することです。
そうでないと、思い込みの決断、無茶な決断 になってしまいます。 重大事項に対して、その決断をするのは 誰でも一番難しいですから 最大の勇猛心を奮い起こして 疑いの気持ちを持たないことです。
英断、果断、活断です。
論語に 「義を見てせざるは勇なきなり」 とあります。
これは、正しいことを勇気を持って実行すると言う 根本の教えを語っております。

人生100年大人の学び

人生には決断が必要になる場面がある。その時にには「考え抜いて」「決断」して「実行する」ことが重要で、そのスピードが成否を分ける。
そのために重要な視点は論語にあるように「義を見てせざるは勇なきなり」
勇気を持って、断行することが人生で大切なのだ。
この言葉は、私にもずしんと来る。実行あるのみだ。

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