【帝王学「倫理」第四十二講 「光華明彩」】杉浦重剛著 「倫理」より[YouTube]「光華明彩」は日本書紀の言葉です 古事記の「修理固成」が日々の陰徳の積み重ねで それが表に出る時に「光華明彩」となり 周りを明るく照らし出します 大正天皇が「日鮮同視」の詔を出されたのは「光華明彩」と「修理固成」の実践からの言葉です

日本書紀の神代の巻に 天照大神の聖徳を形容するのに 「光華明彩」と言っています。 これは「ひかりうるはしく」と読みます。 聖徳が四方に光り広がる様子を言います。
二三事例を挙げてみますと 弟の素戔嗚尊は乱暴者で悪事をいろいろしますが 天照大神は叱ることもなく天岩戸に引きこもりました。 そこで、世界が真っ暗になり ますます。「光華明彩」が際立ちました。
素戔嗚尊は高天原を追われて、出雲国に行って 八岐大蛇を退治して、宝剣を手に入れ これを、天照大神に献上します。 これが、草薙剣です。 これは、天照大神の徳に感化されて 悪ガキ時代を反省したからです。

保食神(うけもちのかみ)が亡くなって 粟、稗、稲、小豆、大豆、蚕を生み出して 天熊人(あめのくまひと)が取って帰って、差し上げると 大神は大喜びされて「これでみんなが生きて行ける」と 農業や養蚕を始めました。 大神が、民の生活を考えていた事例です。

それにもまして、重要なことは 瓊瓊杵尊に「天壌無窮」のお言葉を下されたことと 三種の神器を大八洲(日本)に送り届けたことです。 これが、日本帝国の根本で、大和民族が萬世一系の 皇室を戴いて、二千六百年以上国を維持、発展させた わけで、その神徳を国民も尊敬しています。
「光華明彩」は神代の時代だけでなく 現在でも公平に光り輝いています。
(古事記では「修理固成」と呼びます)
皇室の本源は「光華明彩」と「修理固成」 なのです

新田東洋は、もとは竹沢寛三郎と言って文政十二年に 阿波で生まれました 十八歳の頃から諸国を歩き、尊王思想を唱えて後に 岩倉公を助けて、勤王で活躍 明治二年から神道を唱え修成派を作って管長になった 古事記の要旨が「修理固成」 日本書紀の精神を「光華明彩」 と見抜いたところが、非凡な見識です。

最近、大正天皇が、朝鮮に対して下された 「日鮮同視の詔書」 も同じ考え方です。
「朝鮮に総督府を置く体制改革をするが 教育の普及を行って、政治体制を作り上げるように するべきです 今回の欧州大戦を見ると、民力の発達と、福利の充実 が最優先です。役人の方々も、私と一緒になって 一つ一つのことに、徳で対応して仕事をして 平和が永続して、我が国が隆盛になるように 努力しよう」 
大正八年八月十九日

人生100年大人の学び

「光華明彩」と「修理固成」が陽と陰の関係であるということ。そして日本の国家の経営は、民を大切にすることを天皇が常に心がけるところが原点であることがわかる。朝鮮総督府の設置の時にも、朝鮮での教育を優先して、政府を作るということで、その思想にブレがなかったことが確認できた。学校では教わってこなかった歴史の断面である。

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