【銀行王 安田善次郎】陰徳を積む 北康利著 2016年電子版刊 東大安田講堂を寄付した篤志家としか知らなかった。明治の渋沢栄一と並ぶ「国を思い」「人を育てた」「陰で多額の寄付」をした銀行家。明治を築き上げた人。しかし、マスコミが作った強欲像の盲信者により殺される。  

安田善次郎は、富山の人である。

富山は、越中富山の薬売りで有名。既に複式簿記のシステムで売り上げ管理ができてたという。そして、勤勉で誠実で頑張り屋の習慣が身についていた。
毎日コツコツと仕事をこなし、元手を作って次の事業につなげてゆく。
同時代にいた、渋沢栄一とも「自分でやる」「社会に雇用、事業発展で貢献する」という信念を持っていた。

人つながりを大事にする

安田善次郎は、家族はもちろん従業員も含めてお世話になった人には、心を込めた敬愛の念を持っていた。

現地を知ることが趣味でもあった

「その土地の地理と人情を知らねば商売などできない」という考え方は、後々まで彼の行動指針となった。実際彼の商売が全国規模になっていくと、日本全国津々浦々まで旅行してまわっている。  この発想はおそらく富山の薬売りから出ているのではないだろうか。富山の薬売りはそれこそ全国を商売して歩いた。その土地を知らねば商売はできないというのは、富山人にとって常識だったのだろう。

藩札を明治紙幣に転換で儲ける

富山の薬売りは、代金として受け取ったその藩内でしか通用しない藩札を、富山藩内に設置された〝両替所〟で現金化していた。玩具を売り歩いている間も、この〝両替〟という商売が岩次郎の脳裏から離れたことはなかった。それはまさに、彼が千両分限者を夢見た原点のビジネスであったからだ。やがて彼はこの分野に進出していくのである。

仲間は独立事業家ばかり

同じように両替商で奉公していた、一歳年上の大倉喜八郎という青年と面識を得たのもこのころのことである。大倉は後に大成功を収め、現在の大成建設やあいおい日生同和損保、太陽生命などからなる大倉財閥を形成する。そして彼の長男・喜七郎が大倉邸跡に建てたのが、現在のホテルオークラ東京である。

気働きが身についている

 人の出入りが激しい店の土間には、いつも沢山の履き物が乱雑に脱ぎ捨てられている。店員たちは忙しいものだから、言い付けられるまでそれを直そうとはしない。だが忠兵衛は誰に言われずとも、仕事の合間を見つけてはそれらをそろえた。外に出掛ける時にちょっと直して出る。帰って来るとまた直す。店員の下駄でも番頭の下駄でも、皆同様にそろえておく。紙屑や布の切れはしなどが落ちていたら、拾って屑かごに入れる。  彼は誰も見ていないところでも、こうしたことが自然とできるのだ。〝陰徳を積む〟ことを尊ぶことは、父・善悦の教育の賜物であった。

処世のルール3つ

1.独力独行で世を渡り他人の力をあてにしない。一生懸命働き、女遊びをしない。遊び、怠け、他人に縋るときは天罰を与えてもらいたい
2.噓を言わない。誘惑に負けない
3.生活費や小づかいなどの支出は収入の十分の八以内に止め、残りは貯蓄する。住宅用には身代の十分の一以上をあてない。いかなることがあっても分限をこえず、不相当の金を使うときは天罰を与えてもらいたい

意志力を信じる

〈私にはなんら人に勝れた学問もない。才知もない。技能もないものではあるけれども、ただ克己堅忍の意志力を修養した一点においては、決して人に負けないと信じている。富山の田舎から飛び出して、一個の小僧として奉公し、商人として身を立てて今日に至るまでの六十余年の奮闘は、これを一言に約めれば克己堅忍の意志力を修養するための努力に外ならぬのである〉

接客の四カ条

善次郎が店員に実行させた〝接客の四カ条〟
1.お客の言うまま、店先にない物は早くさがしてあげる
2.選ぶ時は最もよい品から取ってあげる。決して悪い品はまぜこまない
3.包み物はよく堅くしばってあげる
4.から世辞でなく、心からお礼を言う

言うは易く行うは難し、であるが、善次郎自身が率先して行うことで従業員に浸透してゆく

政府と組むことは美しくない

その後も善次郎は、早暁から起きて手間を惜しまず働くという創業以来の地道な生活を変えなかった。これだけ政府のために働いたわけだから、いわゆる政商になる道もあったはずだが、彼は政府の顕官・要人とは距離を置くべきだと考え、政商になりたいとはつゆほども思わなかった。 (政府高官と資本家が運命共同体だと手を組むことほど醜悪で社会のためにならないことはない)  という信念を持っていたからである。

岩崎弥太郎とは大喧嘩、渋沢栄一とは協調

政商、岩崎弥太郎との大きな違いが、政府払い下げの受け取りを拒んだこと。

善次郎の、民を富ませ、社会を発展させる思想は渋沢栄一との共通点でもあった。銀行業務の実務面は、渋沢栄一も唸るほどの実力があった。

人生サイクル図

勤倹から豊かになった後の人生

修養ー喩義(真理の追求)ー清娯(教養ある趣味)ー安楽
学びこそ全てである

人生100年大人の学びの視点

安田善次郎の伝記を読んで、子供の頃の「しつけ」を含めた学ぶ環境の大切さがよくわかる。(これは渋沢栄一の場合も同じ。子供は与えられた環境で、周囲から吸収したもので学びを続ける。
与えられた環境は豊かさが問題ではなく「どう生きるか」を見せる親がいることが大切。
親の姿を見て、子供は育つということ。

最善の子供の教育は「親が学んでいる」姿を見せること、それが生きることと格闘する姿でも良い

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