【逝きし世の面影】  渡辺京二著 2005年刊 幕末から明治初期に日本に来た外国人の記録から、当時の日本人の姿を浮かび上がらせる名著 西洋の価値観と日本の価値観の対比も公平 これからの日本の立ち位置を考える上での貴重な資料

まえがき:ある文明の幻影

江戸から明治へ転換したときに、日本のユニークな文明が消滅した、われわれはその自覚がまだ十分にできていないと言うことでこの本を書いた。それを証明するのは日本人の中よりは、むしろ同時代の異邦人たちである。

絵のように美しかった日本はもう帰ってこない。

日本人の特質を
社交好きな本能
上機嫌な素質
当意即妙の才

1800年代中頃日本に来た外国人が元に持った印象は「日本人はいろいろ欠点を持っているとは言え幸福で気さくな不満のない国民であるように思われる。」と言う指摘であった。
生活がどんなに苦しくても貧しくても日本人は微笑みを忘れなかった。
日本の辺鄙な場所に行っても人々は親切で困っているとすぐ助けてくれた。
彼らは日本人の特質を、社交好きな本能、上機嫌な素質、当意即妙の才にあると見た。

生活レベルは高くないが

貧乏人は存在するが、貧困が存在しない。
理由は生活が簡素で物価が非常に安いことである。
生活は開けっ広げで簡素なものであった。

当時の日本人は金銭的には貧しかったが生活する上では必要なものが少なく済むにも最低限のものしか用意していなかった。
食べるものも質素なものが多い
位が高い大名でも家の作りは簡素で、食べているものも質素であった。
庶民は親切丁寧で、好奇心が強く異人たちが来ると周りを取りまいて見物した。皮膚病、疱瘡跡、シラミなどは蔓延していた。

臨場感あふれる描写

しかし、人々は「幸せそうで」「明るい表情だった」
全ての家が開けっ広げであった。異人たちは目を見張った。
下層の人が日本ほど満足そうにしている国は無いとイタリアの海軍中佐は言った。

共同体の一員として助け合う

これは共同体の中で所属することによる相互補助から由来すると考えられる。
長崎でも、木曽の山中でも人々は家に鍵をかけていなかった。
貴重品を家の中に置いておいても、盗まれた事は無い。
女性が夜一人歩きしても安全な社会であった。

外国人が野蛮と言われて当然

モースはこれだけ親切で開放的な日本人が、外国人を野蛮だと言った意味がわかった。西洋では教育で身につける善徳や品性を生まれながらにして持っていることを見出した。

酒飲み天国

日本は夜になると酔っ払いの集まりになる。
日本人は喧嘩をしない。

礼儀正しさ、無邪気で明朗、人がよく親切がつながっている
日本には礼節によって生活を楽しいものにすると言う普遍的な社会契約が存在する。

楽しく軽やかに生きる

1889年に来たメアリーフレイザー日本人の楽しく軽やかに生きる姿に感銘する。
料理に使う道具の清潔さと簡素さ。
簡素な生活であるがゆとりがあった。

モース(大森貝塚発見者)の日記帳は1880年代に作成されたが

出版されたのは1917年である。その間に日本人の美徳はほとんど消え去ってしまったようだ。
モースが最初に日本に来た時に、杭打ち作業を見た。八人が歌いながら杭の周りで縄を引っ張って、一斉に手を離す。実の効率が悪い。しかし、これが日本人の労働概念だった。
日本人は悠長に見えた。しかし一旦必要とアラバ労働者たちも非常に俊敏に動く。
大工の技術は道具の簡素さから見るととてつもなくレベルが高い。幕末から明治初期にかけては日本に来た外国人の描写は、日本の男も女も明るく楽しい様子をしていてしかも美しかったと言う記述が多い。

共同体の存在が個人の自由を生み出す

「個人が共同体のために犠牲になる日本で、各人が全く幸福で満足しているように見える事は、驚くべき事実である」
日本では捌きは公平で法規と習慣さえ尊重すれば決して危険は無い。

裸体と性に関してもおおらかだった

裸で歩き回ったり男女混浴の浴場があったり外国人から見ると日本の風習は非常に淫らなものに見えた。
羞恥心は悪習だと考えるキリスト教徒も出た。
庭先での行水は町のどこでも見られた

女性の存在感

明治時代の女性は、家庭内での権力を持っている場合も多かったようだ

子供は好きに遊ばせろ

子供は大切にされた。体罰は特に加えられた様子は無い。
外国人からは、日本人の大人が「(好きなことをやっている)子供に見えた」

百万都市が庭園と田園のコスモスを形成

港から見た日本の景色に惚れ込んだ外国人は多い
鳥は保護されていたので大変よく繁殖し人にも恐れずに近づいてきたと言う
1859年 英国訪日艦隊乗組員は江戸が大都市の人数がいる巨大な村にびっくりする。沢山の庭園が至るところに散見される。
そして、富士山の姿を見て強烈な印象を受ける

バビロンの庭園よりも素晴らしい、ヴェルギリウスによって歌われた緑地の静けさなど、西洋との比較もきっちりできている

プラントハンターには天国

王子の稲荷神社には多くの外国人が訪問した。
多様な植物がいたので、プラントハンターの外人たちは沢山まとめて本国に送った。460 染井、巣鴨には植木・花卉(かき)の世界最大の集積地であった。
300を超える大名屋敷、神社仏閣もがそれぞれに庭園をあつらえ、競い合って江戸全体が大きな公園の様子であった。

人生の楽しみ方

明治初期でも、老人が亀戸天神で酒をぶら下げ、梅の花を愛で、ニコニコしながら一句書いて梅の木に結びつける姿を記録している。
庶民が花を育てる姿も、感嘆の目を持って書き残されている。
句を認めるのは庶民の常識でもあった。
多摩川、隅田川の草原の季節感、富士山の存在

生類と人間には大差なし

犬猫が闊歩する街中、しつけられていない馬
当時の人々は、キリスト教徒と違って、人間と馬とそれほど差があると思っていなかった。
日本人の人間観として人間だけが優れているとする、鳥や獣とかけ離れた特権意識はない。

熊本本妙寺の隔離施設

これは、障害者についても社会的に対応することで、我が身の姿とすることで差別ではなく対等の意識で対処している。

葬式も笑いの中で

葬送の列も賑やかで、笑が起こるものであった。(北米のインディアンと同じという外国人の記録もある)
1870年台の大学南校の教師が、東京の大火にあって、現場に駆けつけると、焼け出された家具の周りで、被災者たちは笑って会話していたと言う。(借り家のせいもあるが、数日後には再建されたという)

信仰と祭り

当時訪れた外国人の目には、キリスト教のような確固たる信仰宗教と考える考え方があった。
それに対し、日本人は素朴な信仰心を持っている。
しかし西洋も確固たる信仰心ができるまでに土俗的な宗教心はいたるところに見られた。
確固たる宗教親から見ると日本人は信仰心がないように見えたがしかし歴史的に古い土俗信仰は日本人が持ち続けていたのである。

街角風景

凧揚げ、街角芸人
鎌倉で精神に障害を持つ者が迷惑をかけない限り茶屋に自由に出入りできた事実を見る

著者あとがき

日本近代について長い物語を書きたいと言う途方もない願いが、いつ、どうして自分の心にやるようになったのかも今となっては正確に思い出すことができない。子供の頃江戸時代には戻りたいと思わなかった。しかし、現在では江戸時代に戻って庶民の生活を体験してみたいと本気で思うようになった。それができれば今よりましな人間になっただろうと思う理由である。

人生100年大人の学びの視点

内容が濃く、取り上げている引用文献も、半端なく多い。
そして、展開する論理が、外国人の西洋文明評価に対する、幕末から明治の日本の「現実の姿」とその「精神」を見事に対比させている。
コロナで、従来の世界観が根本的に変わる今、これからの世界と人間の幸せを考える上で、大いに学べる本である。

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