なぜ、「人生100年時代のマナビ」サイトを作ったか

yagihiroshi
八木 博

「人生100年時代のマナビ」サイトは、自分の経験を他の人とシェアすることで、新たな人生の発見があることを確認するOnlineとRealの場所です。

そこに至った、私の経験と思いをお話します。

シリコンバレーに来て22年がたち、沢山の人々が「オープン」「得意なことをする」「つねに学ぶ」という姿勢に私も大きく感化されました。

現在では、それが単にビジネスだけでなく、生きる上でも活用できると確信しています。「人生100年時代のマナビ」サイトは参加する人たちがそれぞれ持っている、知識や経験を、お互いに共有して学ぶことで、現在の生活に活かし「新しい人生経験」をする場所です。ありのままのあなたが、仲間と学ぶことで世界を広げ、学んだことを現実の生活に活かし、新たな人生経験をするのです。

こんな思いで「人生100年時代のマナビ」サイトを作りました。

一例として個人的な経験談をお話しますと、「ローマの休日」という映画があります。ローマに行く前でも楽しめます。それが、ローマに行ってから再度観るとこの映画が、いきいきと楽しく観える。そして、新たな感動が湧いてくる。これは、体験が従来の見方を変えるということです。このような経験は、サンフランシスコを舞台にした「ダーティー・ハリー」でもサンフランシスコの現地を知ってから観ると、知らなかったときよりも現実感のある、楽しい映画として観ることと同じと言えます。これは、経験により同じものの見え方が変わる実例なのです。

私は2015年から米国新聞記事の翻訳の会を始めています。英語情報の重要性と、理解力の向上を目指しています。英語は、「読んでわかる」のと「訳してわかる」のでは格段に理解度が違います。それは、訳すことで英語力だけでなく日本語力も必要になるからです。ここに参加した人は着実に力をつけています。例えば、現在看護婦をしている女性は、この勉強で英語力をつけて、名古屋大学の修士課程を修了し、今年から博士課程に進みました。自営で仕事をしている男性は、英語で自分の興味のテーマを見つけて、とことん追いかけて納得のゆく英訳を完成させています。

みんながそれぞれが学んだことをシェアして、お互いが知識を増やして、現在の生活に活かす。 そんな事ができれば、人生100年時代であっても、生きている充実感は格段に違うと確信しています。年取っても元気な人は、外からの情報入手に積極的で活動的です。こうして、お互いが学ぶことを通じて元気に人生を送ることができれば、国民医療費も減らせるだろうし、社会の元気さもアップすると思います。そのために「大人が進んでマナブ場」を提供することにしました。

私の略歴。私は、日本の三菱化学の工場に勤務していました。1987年からIBMと共同で MO(光磁気)ディスクの開発。日本でのMOディスクの開発は、石油化学中心の工場の中に、情報電子関連の新規事業分野として位置づけられ、0から1を作り上げる仕事でした。今まで社内ではほとんど誰もやったことのない仕事をするのは、私にとってとても面白い仕事でした。そして幸いなことに1990年には世界で初めて3.5インチのMOドライブとディスクを発売。しかし、MOは日本の市場ではすぐに受け入れられましたが、欧州、米国はいまいち。そこで、1995年に米国駐在となり、1997年からシリコンバレー駐在となりました。

私の、Silicon Valleyでの足取りを振り返ると以下のようになります。

米国市場のMO販売拡大のために1995年、関連会社の米国のVerbatim社に出向になりました。 日本の親会社から米国の関連会社への出向です。最初2年間はNorth Carolina州のCharlotteに住んでいました。そして1997年には、米国の会社のSilicon Valley事業所に転勤になりました。 ちょうど、Steve JobsがAppleに復帰した年になります。

Silicon Valleyに来て驚いたのは、アジア人が圧倒的に多いこと、そして0から1を作り上げる仕事をやる人たちばかりが目に付きました。その人達の考え方や、働き方を見ていると自分もSilicon Valleyで人生を賭けたいと思うようになりました。

ですから、私はSilicon Valleyに転勤と同時にSunnyvaleに家を買いました。しかし、会社人生とは不思議なもので、翌年1998年には日本の本社から「戻れ」との辞令が出ます。家族と相談すると「帰るのはお父さんだけでしょ」との大合唱。やむなく逆単身赴任で日本に戻りました。その後、Verbatim社の支援のおかげで逆単身赴任2年半の後、 2000年に Green Cardを取得できました。そして、「オープンな知識共有」が参加した人のレベルを格段に向上させ、「ビジネスは更にその上のレベルで構築される」ということがわかりました。これは、日本にはあまりない動きで、シリコンバレーの根幹の思想です。

ちょうど、21世紀に入った2001年2月に三菱化学を早期退職して、Silicon Valleyに戻りました。念願であった自分の会社IMAnetを同年5月に設立。IMAnetは「今しかない」という「人生の意気込み」を込めた社名です。Silicon Valleyにもどって、日本のExecutive Search会社の社長にヘッドハントされて、Silicon Valleyで4-5年ほどBio関連の人材紹介をしました。Bioの分野も私にとって新しく学ぶことが多かったですが、この仕事で、Silicon Valleyにいる優秀な方々の一人ひとりとしっかり話を聞くことができたことが、自分の人脈形成にも大いに得るものがある経験でした。

また、Silicon Valleyの人は「よく勉強する」「会社仲間の飲み会など参加しない」「常に自分のキャリアを向上させることを心がける」「ネットワークを活用する」

2005年からはIMAnetとしてクリーンテックを中心とした情報収集とProjectによる米国進出企業支援を行ってきました。2005年にはStanford大学でSteve Jobsが「自分が信じたことに進んでゆこう」と歴史に残る講演をしました。

私も、この言葉にどれほど励まされたか。

自分の会社での仕事と格闘しているうち2009年にObama大統領になります。

リーマンショックのあと、失業率が10%近くになった米国経済の立て直しにARRA(American Recovery Reinvestment Act)という80兆円規模の補正予算で、Innovationを中心とした新事業創出、先端技術競争力強化を行います。中心はエネルギー省、長官はStanford大学教授のSteven Chu氏です。
(Chu氏は1997年にNobel物理学賞を受賞しています)

Chu氏は、私にとって1997年にシリコンバレーに住み始めたときからの著名人でもあったわけです。グリーンテック分野もエネルギー省の仕事ということで、関連情報提供で、日本の企業と長期に契約を結びました。LEDや有機LED(SSL)をテーマにしたWorkshopが年に3−4回全米各地で開催され、2008−2014年まで、ほとんど皆勤で情報を取りました。参加者の中に日本人は殆どいない状態で、得られた情報はかなり重宝されました。それより私にとっての衝撃は「米国のInnovationは政府が主導する」これはSilicon ValleyがInnovationの中心という固定観念をぶち壊しました。 「米国政府の担当者はProjectを長期に担当する」Workshopの担当者は今年で16年になります。

米国は「可能性のあるものは、どちらも取り上げる」決して思い込みでの二者択一はしないのです。

「研究開発は愚直にやる」ブレーンストーミングから問題点を幅広く取り上げ、優先順位をつけて、進捗管理をします。

「政府は業界Groupの形成を支援する」SSLの研究機関、製造メーカー、販売業者、デザイナー、設置業者などが毎回200−400名程度Hotelの会議室で議論します。そして、参加者同士のNetworkingのレセプションも設定されます。Hotelに宿泊するので、参加者同士のコミュニケーションは盛んに行われています。

これらのことが、私にとっての発見でもありました。

そして「現場情報こそ最重要」と理解しました。

しかし、残念ながら日本の人たちは「現場にあまり出ない」ことも事実でした。一方、私が参加したWorkshopは、韓国企業や中国企業の参加者は多かったですが、日本企業からの人はあまり見かけませんでした。

話は少し変わりますが、私は渡米前に日本でライフビジョン学会の奥井禮喜先生に大切なことを教わりました。奥井先生は「人生設計」というはたらく人の一生をどう考えてゆくのか、日本で初めてプランを提示された方です。
今でも、勉強会を続けられています。
ライフビジョン学会

奥井先生は「人間にとって重要なのは(相手との)相対評価ではなく、自分に対する絶対評価だと」言われました。

これは、イソップの「ウサギとカメ」の話でも同じです。ウサギはカメに勝てばいいと思ってカメを見るが、あるところで油断して寝てしまう。しかし、カメは常にゴールを見て、「遅くとも着実にゴールに近づく努力を続ける」

シリコンバレーでは、私はカメのように学んだつもりです。毎日、昨日の自分を超えるよう努力を続ける。そうすると、歩みは遅くとも着実に前に進んでゆくことが実感できる時が来ます。例えば、英語のイベントに参加して、わからなかったパネルディスカッションがだんだん理解できるようになる。話の中の冗談がわかるようになるのです。そして、学んだことがシェアできると、シェアしてくれた人は喜んでくれる。これは私の喜びでもあるのです。こんな経験を背景に「人生100年時代のマナビ」サイトを作りました。

しかし、本当は失われた30年で、シリコンバレーにいると中国・インド・韓国の元気さを見るにつけ、日本は本当に世界から置いていかれたと実感しています。

ここに、全労連の2018年の資料があります。1997年を100として先進国の労働者の賃金比較です。日本だけがひたすら下がっているのがお分かりいただけると思います。

そして、この大きな問題は、マスコミも政治家も取り上げることはないまま来ていることです。私は、今のままでは日本の未来に期待するのは難しいと思い始めています。

まず、若い人たちにはこれからの日本で、視野を世界に向けて見てほしいと思います。「現場」に立てば、見えてくるものは違うし、そこから学べるものは沢山あります。しかも、働き場所は、日本以外も考えうる時代です。

そして、人生で経験を積んだ人たちには、その経験をシェアすることで、他の人達に貢献でき、しかも自分も学べる場所を提供したい。そんな思いで作ったのがこの「人生100年時代のマナビ」サイトなのです。自ら学んで、お互いで共有し、みんなが成長する。今からでも遅くありません、一緒にマナビを始めましょう。

略歴

1948年4月
東京生まれ

1977年4月
[日本] 三菱化成(株)(現三菱化学(株))入社 研究より金儲けがしたいと希望して水島工場勤務(岡山県倉敷市)になる。 工場にて触媒開発で、社長表彰MO(光磁気ディスク)顧客技術支援、販売支援、品質保証を歴任

1995年10月
[米国] 三菱化学関連会社Verbatim(バーベイタム)社本社(Charlotte, NC)に出向 技術販売マネジャー(MO販売支援)

1997年8月
[米国] Verbatim社 シリコンバレー事業所に転勤/新規事業開発部長

1998年8月
[日本]三菱化学(株)本社 
[米国]Verbatim社 シリコンバレー事業所に転勤/新規事業開発部長

1998年8月
[日本] 三菱化学(株)本社
イオン交換樹脂事業部にて米国大手化学企業との合弁事業推進担当

2001年2月
[日本] 三菱化学(株)を早期希望退職

2001年5月
[米国] IMAnet, Inc.設立(シリコンバレー)人生IMA(今)しかない!
シリコンバレーにチャレンジしなければ人生後悔すると思った

日系Executive Search会社の米国支社でBio人材発掘(4-5年)

2005年4月
[米国] IMAnet, Inc. シリコンバレーでの調査・ビジネス活動開始
米国発イベントを日本誘致支援 日本企業の米国展開支援 米国エネルギー省のLED Workshopに6年間連続参加 LED,OLED関連の米国内イベント参加
CESイベント参加  米国雇用制度調査報告書 米国教育制度調査報告書

2014年                        
Annual Rewards Tour(ご褒美)開始 Grand Canyon & Route 66

2015年                        
Annual Rewards Tour Italy

2016年                        
Annual Rewards Tour Spain

2016年                                             
[米国] 大人が対象の教育、学習支援活動開始
[日本] 熊本復興支援開始

2017年                                             
[米国] Facebook Friends上限5,000人到達
Annual Rewards Tour Italy

2018年
[米国] Digital Knowledge Tool「歩きサンドリア図書館」を構築開始
Annual Rewards Tour Yellowstone National Park, National Gallery(DC), Getty Museum(2回)                      

2019年
[米国] Digital Knowledge Tool「歩きサンドリア図書館」完成
[米国] 100年人生の学び」サイト yagihiroshi.net 立ち上げ



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