【「商い」から見た日本史】伊藤雅俊、網野喜彦、斎藤善之著 2000年刊 現場データから検証 「百姓」は姓が多いという意味で「農民ではなく多種多様な職業人」を示したとか・・・ 眼から鱗の商人史観 もう一度・現場情報に立ち帰ろう

[私の学び]教科書で習ったことは信じてはいけない

私は江戸時代は士農工商の、身分が固定された社会であったと教育された。
それゆえ江戸時代は身分制に縛られた、窮屈な世界を強いられた。
特に農民は「百姓」として幕府・領主から搾取されていたとされるが、そんな簡単な話ではない。
古代律令国家で水田を国の制度の根幹にしたこと。農は天下の本。
江戸時代では、代官が領地を「経営していた」のが実態。
14世紀の代官は、農民からの生産物を市場に出し、売り上げを立てた。
市場=市庭であった。12世紀以降そこで交換が行われた。

伊藤雅俊さんはイトーヨーカ堂の創業者

座右の銘「生涯、一商人として生きる」

日本の原型は中世と江戸時代にあると考える。
特に江戸時代の商業は、欧米に引けを取らない先進性があった。
中世は室町時代、明との活発な交易があった。

利息は神への返礼

西欧キリスト教で大きな問題となった利息は、日本では穀物での返礼を意味した。介在する人間は、初めは神職や僧侶が担当した。13世紀後半から貨幣の活発な流通により、農作物から貨幣の流通へと変わっていった。

鎌倉仏教は企業家を生み出した

日蓮宗、浄土真宗、時宗は(商人や手工業者、流通業者=百姓)を対象に都市で流布した。対中国貿易で巨額の富を獲得。砂金・真珠・刀剣の輸出、銭と陶磁器の輸入が行われた。勧進(神仏のための寄附金)で貿易のための資本を作った。
14世紀ごろの寺社の経済力は強かった。
それゆえ、織田信長は寺社を弾圧した。

12世紀から廻船による流通 海岸に都市

塩:北九州
鉄:河内、和泉
日吉神社、賀茂社、伊勢神宮、熊野神社も廻船業を営む

江戸時代に「石高」俸給となり、商品取り扱いが軽んじられた。
そして、明治政府により、江戸時代は農の割合が8割と決め付けられた。

戦国時代に「流通の全国化」成立

金銀、建築材料、武器、兵器、人身売買などを行った

貨幣流通は13世紀以降

女性は商品を生産し流通させた

女性は社会的な権利は認められていなかったが、商品流通で売り上げたお金はしっかりと手元に残した。鎌倉以降武家に金を貸す女性金融業者もいた。

先進的日本の商業言葉 元手(資本) 働き(労働)賃金(給金)

縄文から始まる海の交易

5000年以上前の三内丸山古墳、1000年以上続くには、出土品から大きな海上補給路があった。

江戸の領地は、領主の事業拠点をつなぐ飛地も多い(幕府命令だけではない)

江戸初期から仙台藩の江戸廻米、小倉藩、前田藩の大坂廻米
幕府の廻米が始まる:河村瑞賢 東廻り、西廻り航路

河村瑞賢の東西航路

元禄は城下町、港町を拠点にした商い

石門心学:商人の重要性と倫理確立を求める

飢饉により廻船業者の独占が崩れる

北前船、尾州廻船などが台頭・個性的な人々

大黒屋光太夫:漂流してロシアに助けられ、エカテリーナ二世に謁見、教養と人格を見込まれ、丁重に日本に送還された。(日本では幽閉される)
高田屋嘉兵衛はロシア海軍に拿捕される。ロシア語を学び日露の問題解決に貢献した。
ニッポン音吉:1832年難破して米国まで漂流、イギリス人に買われてロンドンへそこで聖書の翻訳に関わる。日本位には戻れず、マカオの商社役員になる。

信用が大事な商業には、教養を備えた人格が必要

海商は情報ネットワークを大活用

貨幣流通策の失敗で幕府の権威が落ちる

明治でも廻船業者は産業・商業で民力を発揮

網野喜彦氏は日本常民文化研究所出身
1925年渋沢敬三氏の設立:歴史としての事実を探究しながら、日本の民話や民具収集、漁業水産史の研究をしている。現在は神奈川大学日本常民文化研究所となる。

斎藤善之氏は尾州廻船の研究家
この著作は、伊藤雅俊氏の興味からの対談方式になっている。
伊藤氏の視点「これからんの日本の商業はどうあるべきか」「先人の歴史から学べることはないのか」というテーマに対し、この対談では「過去の現場の事実を確かめることが大切だ」という結論を引き出した。
人生100年大人の学びとして、このような先人の著作に出会えたのは嬉しい。
誇りを持って生活していた「百姓」と言われる庶民。
日本の強さは、その人たちを再び生み出すことで生まれるであろう。

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