【杉浦重剛 帝王学「教育勅語07」】[YouTube]恭儉己レヲ持シ: 倹約・節約が心身ともに 我が身を守ってくれる

恭儉己レヲ持シ

1.恭倹の字義
「恭」は慎み深く傲慢でないことをいいます 英語でModesty
「倹」とは欲望を抑えて自分の行動を制して流されないこと ものを節約することも含まれます 英語でModeration
「恭倹」の二字はどちらも礼節の意味を含んでいます ですから、人に奥ゆかしさを感じさせ 尊敬の念を起こさせます。
「みのるほど首をさげる稲穂かな」と言う言葉は恭敬の 考えを思い出させます。

①天智天皇の恭敬(てんぢ)
第38代天智天皇(614−671)が皇子だった時に蘇我入鹿 を殺しました。
第35代皇極天皇はその功績が絶大だったので皇位を 譲ろうとしました。しかし、皇子は密かに申し上げて
第36代孝徳天皇に譲り、自分は皇太子として補佐しました。 孝徳天皇が亡くなって、皇極天皇が再び即位して
第37代斉明天皇(さいめい)となりました 。斉明天皇が亡くなって、皇太子が服喪で6年間政治をとり 斉明天皇を埋葬してから天皇に即位しました。
天智天皇は「恭敬」で譲る心を国民にお示しになりました。

②貝原益軒の謙遜
貝原益軒(1630-1714)は福岡の儒者でした 学識が広く、多数の著書があって、世の中を導くことでは 当時右に出る人はいませんでした。 ある時、大阪から船で帰る時に、数名の人と一緒になりました お互い、名前や生まれを知らずに、いろいろ話してました 。若い男が、儒教の経典の話の講釈を始めて 一人で喋りまくりました。 益軒は黙って聞いて、下船の時に各人が郷里と姓名を言いました 「私は貝原久兵衛です」と言ったところ、若者は真っ赤になって 自分の名前も告げずに逃げ去りました。

③江村専斎の節欲
江村専斎(1565-1664)は小さい時から心身の鍛錬を していました。 九十歳を超えても、視力・聴力は若い時と同じで 衰えませんでした。
第108代後水尾上皇(ごみのお)がそれを聞いて呼んで 鍛錬の方法を聞きました。 専斎は「少し」という言葉に従っております 食べること、考えること、生きてゆくためのものすべて 「少し」にしています。
上皇は大変お褒めになりました。

⑤徳川家康の節倹
ある時、家康(1542−1616)が板坂卜斎と会った時に 壺の中の人参を与えようとしました。 両手で受け取ろうとしましたが、卜斎は棚の上に奉書紙 があるのを見つけて、その中から一枚抜いて包もうとしました。 家康は不機嫌になって「その紙は大名に書状を遣わす時に 使うものだ。用事がないのに使ってはならない 人参は体に良いもので、日常必要だから分け与えるのだ 奉書は一枚でも無駄にしてはいけない 羽織を脱いで、受け取りなさい」 卜斎は恐縮して奉書を返して、恭しく羽織で受け取った。

歳暮の詩 年末、最終講義となりましたので 私の師匠、巌垣(いわがき)月州(1808–1873)の 歳暮の詩を贈ります。
「債を償いて初めて倹を思い 窮冬却って陰を惜しむ だだまさに一年の計、臘抄の心を失わず」
負債を返済すると倹約の必要性を感じ 冬の寒さの中で時間の大切さを実感しますので 一年の計は、質素を守る心がけにあります。

人生100年大人の学び

我々は飽食の時代に生きてしまったが、ここに掲げられている節約、シンプルライフは、昔から提唱されていたところが新しい発見であった。世界の資源の有効利用、飢餓の国々への食糧供給など、これからの時代に我々が考えるべき項目の対応策が示唆されている。

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