掲げられた骨抜きの大西洋憲章
1945年2月のヤルタ会談で発表された「公式」声明には大西洋憲章に掲げられた言葉が散りばめられていた。「民主的」「平和」「平和を願う」「自由」「安全保障」「安全装置」「人権」「自らの政府を選択する権利」「解放」「解放された」
しかし、ヤルタ会談での合意事項は、秘密協定として当時は公開されなかった。
秘密協定が漏れ出るのは、会談の2年後から
会談の2年後からいくつかの秘密協定が漏れ出てメディアに明かされたが、
米国国務省が公式の会談内容を報告書にしたのは、10年後
しかも、5万語が削除とシカゴ・トリビューン紙がすっぱ抜く
そして、削除したのがソ連のスパイ、ヒスによる。
ヒスは自分でもヤルタ協定の枠組みを作ったのは「私である」と証言もしている
フーヴァーもヤルタ会談当時のルーズヴェルトの手紙などを公文書館で閲覧しようとしてもアクセスできなかった。
1943年のテヘラン会談での密約が実行されただけだが欧州は犠牲になる
ヨーロッパ解放宣言の中味はロシアの併合・周辺国の親ソ政権樹立
アジアでは、千島樺太領有も行われた。
スターリンの完全な勝利
その後の世界は欧州でロシア併合7カ国、共産党政権7カ国となる
私は、第二次世界大戦が、スターリンのもとに動かされたと言う確証を得た。彼は、トロツキーなど反体勢力は徹底的に粛清し、間違いのない指導者スターリンを確立し、さらにコミンテルンという国際共産主義革命をおこすための活動家を、世界中に展開させた。
米国のルーズヴェルトの周辺も、それらの人間で囲まれていたことがわかる。フーヴァーのこの著作が、長らく米国で公開されなかったのも、内容が批判の対象になるからであろう。
振り返って、我々の現代を見ると、共産主義国家はまだ存在しているし、共産党も活動している。
そう、共産主義の終末革命理論は今も生きているのである
日本も、終戦後日本共産党員が、ソ連や中国から帰国した。
その人々は「天皇制廃止」「天皇戦犯」を唱え、それ以降も武力闘争を表に出して活動した。
最近、オリーブの木の黒川あつひこ氏が日本共産党の活動をまとめているので、ご覧いただきたい。
人生100年時代の大人の学びは、学びを今に活かすことが一番重要だと考えます。これからの、答えのない時代、学びは続きますが、くじけずに進みましょう。
わからない未来なら、自分で作るしかないのですから。