[人生100年大人の学び]
天才石原莞爾の書き残した【世界最終戦争】の方向性の判断は正しい。すなわち
産業を興し、対米戦争に備えよ。
1920年代に書かれた部分で、【世界最終戦争】のタイミングは歴史の帰結から1970年頃であろうとされている。
戦争には、決戦(武力中心)と持久戦(武力以外)がある。
石原莞爾がドイツ留学で学んだ、ナポレオンとフリードリッヒ大王の時代は別々だった。
[私見]しかし、20世紀に入って戦争が、両者の結合になり、国内分裂を誘引させる構図になったことまで考察していない。
ソ連のコミンテルンは既に動き始めていたから。
[結論]時代に合わせた思考が重要で、情報が全てを握っていることに今の我々は留意しなければならない。希望を持つべきは王道の世界への広がりである。
1920年から1940年までの石原莞爾の著作集
大英帝国は没落と断言 P.57
世界最終戦争、決勝戦は「日本」対「アメリカ」
東洋の王道と西洋の覇道の戦い
しかし八紘一宇の精神で天皇が東亜連盟の盟主の、世界の天皇と仰がれても「日本国」は盟主ではな
日米開戦は1970年頃だろう P.60
ソ連は瀬戸物のように落とすと割れやすい内部から崩壊する P.60
欧州の自由連合作りは、共倒れとなってうまくゆかない P.60
石原莞爾の思想の背景
人類前史の終わり P.72
人類文明の弱点は、我々が全能力を発揮して正しく堂々と戦うことによって、神の審判を受けるのです。
1 日蓮聖人によって示された世界統一のための大戦争
2 戦争性質の2傾向が交互作用を成すこと
3 戦闘体系は、点から線に、さらに面に進んだ。次に体となること。
アメリカの呪いで作戦を立てると病気になったと信じてる
関東軍参謀着任 1929年
板垣征四郎との出会い 1929年
来るべき最終戦争に向けて、関東大震災の復興よりも、産業育成を優先すべしと述べる P.87
1931年 満洲事変
1932年 参謀からジュネーブに転勤
フリードリッヒ大王と、ナポレオンを研究をしたが未完
1935年 参謀本部課長
支那事変 1937年 から作戦部長
1938年 舞鶴要塞司令官
日蓮聖人の生まれた論理付けに気がつく
1940年に「世界最終戦論」をまとめる。 しかし、内容は未完のフリードリッヒ大王と、ナポレオンの研究のまとめ 東洋は王道、西洋は覇道
波動文明に徹底するソ連の外交は正確なる数学的外交である事は極めて明らか対ソ国防不完全のまま、ソ連と握手しようとしているお人好しもいる
日英同盟廃棄数年後になっても、英国が日英同盟の日本の貢献を忘れたとする人がいる。
ドイツ人はこれを見て「日本は離婚した女に未練を持っている有様だ」と表現した。
これは日本人が外交においても道義を守るべしとの考え方が西洋人に比べて強いことを示している。
戦争は政治の継続
決戦戦争
武力で勝負を決める
持続戦争
武力の割合が小さい
ナポレオン「戦争は金、金、金」と言った
戦争はまず、外交から ナポレオンの研究が続き、ヒトラーはナポレオンの後継者と表現されている WWII 1940年 電撃作戦 ポーランド、ノルウエー、フランスの占領 空軍主力の時代が来る
レーニンの成功は資本主義諸国の支援の結果
軍隊のあり方私的制裁を禁じ、弱者を労る中国北京の北城における柴五郎大佐は1900年義和団事件での収集処理で、道義を守り中国人からも尊敬された
世界最終戦争の戦場は太平洋
覇道は動物的本能であり、王道への欲求、憧憬が人間の万物の霊鳥足る所以である
敵は空から来る
見習うべきはヒットラーの戦争、産業振興路線であり組織論のない日本はマルクス流は取るべきではない
東亜連盟をの外敵は2つ
1.ソ連の陸上部隊
2.米の海軍力、これには英国、ソ連の海軍が共同すると考えねばならない
日米開戦は時期尚早
戦争は最大の浪費である最終戦争を世界は統一する。
人類の新しい総合的文明建設の原動力八紘一宇の完成に邁進する。
これは1941年6月ごろまでの石原莞爾のまとめである。は会津出身
真珠湾攻撃は1941年12月8日
王道のメッセージ 令和天皇
石原莞爾お勧めYouTube
人生100年大人の学びでは、王道が覇道を制することが人類に未来があるかどうかの「カギ」だと考える。
王道は「民」から入る。
覇道は「もの」「金」から入る。
我々がこれから生きる上で大切なものは何だろうか?
そしてそれは、どうしたら実現できるのだろうか?
まずは、学びからであることは間違いない。