【鈴木貫太郎記念館】写真と【安岡正篤と玉音放送】ブログがつながった【日本のいちばん長い日】

今年2月に勉強仲間とつるんで、栃木県野田市にある「鈴木貫太郎記念館」を訪ねました。
そのきっかけは、やはり勉強仲間の林潤さんから頂いた著作でした。
「鈴木貫太郎翁の思い出」と題された地元有志による小冊子です。
生前の鈴木貫太郎夫妻と交際のあった方々の、地元での交流がまとめられていました。

私は、約3年前から現代史、特に太平洋戦争、第一次、第二次世界大戦を集中的に学び始めました。なぜ、結果的にこんな無謀な戦争をしたのかその理由を知りたかったからです。はじめは書籍中心でしたが、昨年熊本の若い女性から「昭和天皇物語」という漫画を勧められて読んでみると「足立タカ」さんが昭和天皇の養育係をされていて、後に鈴木貫太郎氏の後妻さんになったと描かれていました。しかも鈴木貫太郎さんは二二六事件で襲われ、奥さんの機転で危うく命拾いをします。

映画では「日本のいちばん長い日」が玉音放送をめぐる、戦争続行派の無謀な行動を描き出しています。これには2016年版と1967年版がありますが、戦争終結をさせずに継続する軍部将校たちの、天皇の意向をないがしろにした姿が描かれています。その映画を観て、終戦決断をした当時の鈴木貫太郎首相の人間としての姿を知りたくて、どうしても「鈴木貫太郎記念館」に行きたくなったわけです。

写真左側が記念館の正面からの写真です。
館内のビデオでは「鈴木貫太郎夫人=足立タカ」さんの二二六事件当時の状況解説など放映されています。(夫に覆いかぶさったのではなく別室にいたのです)
展示品も鈴木貫太郎氏の海軍生活の思い出を残していて、印象深かったです。
毎週日曜日には、ボランティアの方の説明も付きますので、ぜひ訪れてみて下さい。

しかしその時、この碑に書いてある「為萬世開太平」が私にはよくわからなかったのです、実は。
それが今日、Stanford大学の西鋭夫教授の研究室の岡崎さんの【安岡正篤と玉音放送】のブログを読ませてもらいました。なんと、玉音放送の原稿に「萬世ノ為ニ太平ヲ開カムトス」という言葉を入れたのが、安岡正篤氏であったとの発見です。つながりました、とても嬉しかったです。

以前のこのブログで「昭和天皇物語」を取り上げていますが、今回の安岡正篤氏の話が加わって、終戦当日の日本の状況への理解が厚みを加えました。
人生100年時代の学びは、人繋がりと情報つながりとが重なり合ってゆきます。
その現場にいた人たちそれぞれの思いや行動をつなげてゆくことは、現在の私達に活かせる大事な時代解釈力だと思います。情報と人繋がりは厚みが増すほど楽しいです。

鈴木貫太郎記念館を訪問した仲間にさらにメンバーが増えて、5月には皇居周辺の「旧陸軍跡地巡り」もやりましたが、消えゆく史跡、入場できないGHQ跡とか昭和の歴史がどんどん薄れてゆくのがわかります。
歴史は、検証できるうちに急いで学ぶべきものであるとの思いを強くしました。

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