歴史の書き換えを狙った書
ルーズヴェルトの誤り
ソ連への過信
ドイツとソ連の戦いを見ているだけでよかった米国なのに
1941年3月 米国ソ連への武器供与法成立
1945年まで現在価値で180億ドル相当を供与
日本への挑発
1941年7月 全面経済制裁と日本からの講和提案無視
1941年10月 近衛内閣退陣 東條内閣発足 太平洋方面での和平を探る動きを無視
ルーズヴェルトは「日本は間違いを犯す」と米国太平洋司令官に漏らした
1941年11月26日 最後通牒
1941年12月6日 ルーズヴェルトは天皇に公電を打った
1941年12月7日 真珠湾攻撃
12月8日 対日開戦 議会承認
12月11日 ドイツとイタリアに宣戦布告 議会承認
誰に責任を負わせるか
日本からの攻撃が欲しかった
連合国会談:秘密・公式記録がない
1941年8月 大西洋上会議での大西洋憲章
ルーズヴェルト・チャーチル
米・英は欧州の自由な国家の(ヒットラーからの)独立支援
そしてソ連もこれに同意したとされる
1942年6月第二回ワシントン会談
ルーズヴェルト・チャーチル
チャーチルと原爆について語る
第二戦線展開でスターリンが苛立ち
1943年1月 カサブランカ会談
ルーズヴェルト、チャーチル(ド・ゴール)
対伊作戦と「枢軸国」への無条件降伏の原則を確認
ドイツ内反ナチス活動の終焉、ナチの強化となり日本・ドイツ徹底抗戦へ
1943年5月第三回ワシントン会談
ルーズヴェルト・チャーチル
公式記録なし
蒋介石に毛沢東との協調を提案
蒋介石怒り狂う
米国政府内共産主義者の暗躍
1943年8月 第一回ケベック会談
チャーチル・ルーズヴェルト
原爆の密約
1943年11月 カイロ会談
ルーズヴェルト・チャーチル・蒋介石
対日戦争方針策定
領土問題・朝鮮独立・日本の無条件降伏
1943年11月-12月 テヘラン会談
ルーズヴェルト・チャーチル・スターリン
対独戦の方針 北フランス上陸(欧州第二戦線)
2つの秘密合意
ソ連に7カ国併合を認める
ソ連周辺に親ソ国を持つことを許容する
1944年8月 ダンバートン=オークス会議
ルーズヴェルト・チャーチル・スターリン・蒋介石
国際連合の設立の原則と具体案の作成
1945年2月 ヤルタ会議
ルーズヴェルト・チャーチル・スターリン
対独戦争処理問題、国際連合設立問題
ヤルタ協定でソ連の対日参戦と南樺太・千島領有を米英が了承
1945年6月 鈴木寛太郎内閣成立で、日本降伏のシグナルをルーズヴェルトは無視した
1945年7月 ポツダム宣言
トルーマン、チャーチル→アトリー、スターリン
ヨーロッパの戦後処理
日本軍への無条件降伏の勧告
米軍関係者は、日本の敗戦は時間の問題と捉えていた
(原爆は想定外の選択)
1945年8月 広島・長崎原爆投下
1945年8月8日 対日戦にソ連参戦
1945年8月15日 日本降伏
今も状況は似たり寄ったり
フーヴァーはこの著作の中で、戦争が回避できたかもしれないということまで言及している。そして、戦後東京でマッカーサーと会って「この戦争はあの狂った奴がやった」ということで意気投合したという。以前紹介した「ヴェノナ」は米国内の共産党スパイ活動を扱っていたが、現在の社会でも、各種の勢力がそれぞれの思惑で動いていることは間違いない。
情報集積の重要性
Stanford大学にあるフーヴァー研究所は、フーヴァーにより1941年設立された。政治や軍事関係の資料を集めている研究所であるが、今回のような膨大な資料を使った著作は大いに考えさせる。
(この著作関連の資料は30メートルの長さになったという)
考える人間が大切
我々が、考えるべきことは政府や権力を持った人々は「都合の悪いことを隠す」ということである。そのためにも、正確に記録した資料を管理しておくということは、市民を尊重するのであれば政府が率先してやらねばならないこと。
これに手抜きをすることは、自国の変革力を失うこと。
人生100年時代の大人の学びは、国をよくする、人々を賢くする役割も担えることが見えてきた。