誰もがその男を過小評価し、「より小さな悪に違いない」とみなした。
1933年初頭から1934年夏にかけっての、扇動者による電光石火の勝利と、独裁を阻止し得たはずの個人や組織の敗北の記録である。
第一章 策謀
八木メモ
時の大統領、ヒンデンブルグは首相任命権をもっていた。議会は多数派がなく、ヒトラー率いる国民社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)が第一党であった。そこで、首相の座をめぐり、いろいろな駆け引きが行われる。33年1/29の組閣で、Hitlerは首相になったが、NSDAPからの入閣は内務省のトップと、無任所大臣のゲーリング。
第二章 運命の一日
八木メモ
1/30合法的に選出された内閣の布陣を見て人々は人々はHitlerは野心がないとみた。
2/1 Hitlerは猫なで声で国民にラジオ放送で語りかけた。
軍部の妥協を得る
2/4 「ドイツ国民防衛のための大統領緊急令」
ゲーリングがトップ、国家機密漏洩、破壊活動は反逆罪
共産党監視へ
2/10 ゲッペルスがベルリンスポーツ宮殿でイベント開催
2/11 国民の生活水準は、鉄道の長さではなく道路の距離
アウトバーン、VWの普及へ
第三章 国会炎上
八木メモ
2/27 オランダ人急進派 マリヌス・ヴァン・デア・リュッべが放火(ナチ放火説はありえないと検証されている)
ヒトラーは共産党と反対勢力の弾圧の口実にフルに利用。
2/28 緊急令発動ー>ワイマール憲法の息の根が止まる
市民は、ナチを支持した
3/5 国会議員選挙 NSDAPは43.9%(ドイツ国家国民党と合わせて51.4%
この頃から、拷問や虐殺が開始された
第四章 全権委任
八木メモ
3/21 ポツダムでヒトラー首相とヒンデンブルグ大統領が握手をする。ヒトラーの大統領への忠誠心の証としてドイツ国民に強くアピールした。
その1週間前、ゲッペルスは国民宣伝相に任命された。
3/23 ヒトラーは議会の多数派工作に成功し、「全権委任法」を議員総数の2/3を獲得して成立させる。(4年の時限立法という但し書きを付けて)
そして、新聞は同質化、映画も利用される
ラジオは国民受信機として利用される
ゲッペルスは「操作された真実が国民の求めるもの」
当時脱出した人々
トーマス・マン、アルバート・アインシュタイン、ノーベル賞受賞者だけでも30名(後の米国核開発に参加する)
第五章 権力抗争
八木メモ
ヒトラーはSA(親衛隊)を利用して政敵への暴力行為を黙認してきた。しかし、SAのトップ、レームがNSDAPでの革命はSA推進すべきとの意見に固執し、内部対立をもたらすことに非常な驚異を感じた。12月レームは無任所大臣に任命された。
しかしヒトラーはドイツ国軍とSAとを天秤にかけた。そして、NSDAPの中でもゲッペルスやヒムラーなどが反レームでまとまり始めた
第六章 国家の殺人
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1934/4/12 ドイツ海軍艦上でヒトラーの腹は決まった。
「悪の天才」ライン・ハイドリヒがレーム追放で画策
SAとは別にSSというヒトラー直轄部隊が関与してくる。
6/30 レームは逮捕され、射殺される。
SA幹部200名はダッハウの収容所に送られる。
7/13 ヒトラーは内戦の危機を阻止したとして、清廉の士を自称する。ゲッペルスは繰り返し新聞にSAのクーデターの噂を列挙する。
8/2 ヒンデンブルグ死去
ヒトラーとSSが帝国の基盤となった。
9/5−10 ニュルンベルグの党大会
この記録映像が「意志の勝利」
ヒトラーの独裁が完全に成立した。