【小林一三】鹿島茂著 2018年電子版刊 日本が生んだ偉大なイノベーター 今まで読んだことのなかった人。ユニークな視点で面白い。渋沢栄一、安田善次郎と比べてみると、戦前・戦後まで話がつながっているところがすごい

鹿島茂氏の著作は、伝記であってもビジネス経済論が中心である。

渋沢栄一の伝記も、フランス語文献を解析した解釈がユニークで大変説得力があった。

サラリーマン時代はマイペース

文学青年風で仕事の評価されなかった三井銀行サラリーマン時代
放蕩の日々
良かった点は、渋沢栄一の三井グループへの意見が聞けたこと

小林一三は思想家

小林一三という実業家が今日でも研究の対象となりうるのは、その商業理念(良いものを安く、大量に売る)が近代的であるばかりではなく、商業理念を介して(つまり自らが商業的に成功を収めることで)理想社会を日本にもつくりだすことが可能だと堅く信じていた「思想家」でもあったからである。つまり、渋沢栄一や松下幸之助とはまた違った意味において小林一三は「理念的実業家」であり、その創業会社は必然的にヴィジョナリー・カンパニーとならざるをえなかったということなのである

明治からの日本の産業の歴史と、文化面の交錯が浮かび上がる内容

事業家の要諦

1.小林一三の事業観は「事業は理詰めでなければ駄目だ」と言ってから、事業成功の要諦は「無理をしないこと」にあると断じる

研究に研究を重ねて、事業の大方針、基礎をしっかり作る。決して無理をしない。そのかはり、やり出したならば猛然として突貫する。やり掛けてダラダラしてゐたのでは駄目だ。やるまでには、綿密な注意、思慮、研究にずゐぶん手間をかけるが、一度大方針を立てたならば、猛然と何ものをも粉砕するといふだけの覚悟で進んでゆかなければならない。

人に頼ることは失敗の第一歩である。自分が親分として信頼して来た人でも、いざとなると一臂の力をも貸してはくれないものである。最後に頼むものは自分以外には決してあるものぢゃない。やりたい仕事も自分の力量以上に手出しをしたら、みじめな終局があるばかりだ。これがあの事件後の岩下さんの心境であった。物事はすべて「腹八分目」でなければならない。私もこれには強く動かされたのである。

2.ビジネスの視点としてみれば、データを背景にしたビジネス事業展開、事業をやる人が困難にぶつかって何を考え、どうやって対処したかの記録としても利用できると考える。

箕面有馬電気軌道株式会社の設立

独立事業家としての動きが表に出る。
しかし、開通時には、疑獄で刑務所入り
これは、ラッキーだったと言う発想

小林が鉄道事業に乗り出すに当たってターゲットとしたのは日清・日露の戦争を契機にして日本にも生まれつつあった都市部中産階級、すなわち自分がかつてそうであったようなサラリーマン階級。この階級は、原則として住居と勤め先が分離しており、朝と晩にこの二つを往復するだけで、従来の大阪人のような地域密着型の生活ではない。梅田から阪急電鉄に乗ったら、あとは一路、自宅のある駅を目指すしかないが、その場合には座席に座れてしかも短時間で着くのがベストである。

すなわち、日本の人口の推移を読み込んだ地域開発を想定して鉄道事業を展開する。しかも開発した住宅地の分譲は、当時のサラリーマンでも手の届く5−15年の分割払いを適用している

「清く・正しく・美しく」が民度である

また人々のあるべき姿として「清く・正しく・美しく」を民意とすべく宝塚少女歌劇団の設立や、映画業界の最後発、東宝の設立とか「民の力での生活レベルの向上」を目指した。

小林一三は少女歌劇団を設立して理由を、男だけの演劇集団である歌舞伎との対比で捉えたようである。

宝塚の男役、女役というものは、かつてはわれわれも、女だけで芝居するなんて不自然だ、やはり男を入れて男女の芝居でなければいけないといって、何べんか宝塚歌劇を両性歌劇にしようと計画したことがあったが、今日ではもうそんなことは考えたことがない。それは歌舞伎と同じリクツだ。歌舞伎の女形は不自然だから、女を入れなければいかんというて、ときどき実行するけれども、結局、あれは女形あっての歌舞伎なのだ。
同じように宝塚の歌劇も、男を入れてやる必要はさらにない。なぜなれば、女から見た男役というものは男以上のものである。いわゆる男性美を一番よく知っている者は女である。その女が工夫して演ずる男役は、女から見たら実物以上の惚れ惚れする男性が演ぜられているわけだ。そこが宝塚の男役の非常に輝くところである。

全て庶民のものへ

常にコストを低減して事業をスタートし、安い値段で、多くの人が享受できるデパート(阪急)や文化イベント(東京宝塚劇場、日比谷映画劇場)を作り出した。

当時東京の凡ゆる百貨店を見て驚いた事は、百貨店といふものは御客様を集める為めに非常な金を使って居ります。その当時は百貨店は何処でも只で御客様を自動車で送り迎へをして居た。いろいろの催し物をして御客様を集めて居る。遠方まで下駄一足でも配達して居る。一日に何万人かの御客様を集める為めに凡ゆる努力をして居るのであります。私はかういふ状態を見て、「何たる馬鹿馬鹿しいことをやるのだらう、全体御客様を集めるのにそんなに金を掛けなければならぬのだらうか」かう考へた。(「私の経営法」

欧米の百貨店では、いかにして安く売るかということよりも、いかにしたらお客様に好感を売ることが出来るか、有利に売れればたとえお客様に不要なものでも巧妙な売方で売りつけるという行き方が多い。従って宣伝が第一であり、販売術が巧妙で色々客の気に入りそうなサービス等に非常な経費をかけるから、小売値段は通常卸売値段の倍になっているのが普通である

人の懐ろを勘定して見ると、その当時は松屋が一日に彼れ是れ五万人、三越が八万人くらゐ、これだけの御客様を集めるのにそんなに金を使はなければならぬのならば、吾々の阪急のターミナルは当時一日十二三万人、御客様は放って置いても一日に十何万あるのですから、お客様を無理からに集める経費がいらない、此経費がいらぬものとせば私達は何処より一割安く売ることが出来る。それが出来れば占めたものである。一割方安く売ってサーヴィスに全力を尽せば、如何に素人の寄合でもそれから先はお客様が商売を教へて下さる。後は無駄な金を使はないで一人も玄人には頼まず一生懸命やらう、さうすればきっと勝つぞといふ信念を持った。(「私の経営法」)

阪急百貨店店員心得帖

1.吾々の受くる幸福はお客様の賜なり
2.職務に注意しお客様を大切にすべし
3.その日に為すべき仕事は翌日に延ばすべからず
4.不平と怠慢は健康を害す。職務を愉快に努めよ

多売→薄利の思想

では、「薄利」→「多売」に比べて、「多売」→「薄利」はどのようなメリットがあるのか?「薄利」→「多売」を追求していけば、ひたすらスケールメリットを求めると同時に「薄利」の方も限度がなくなって、利益率がどんどん下がっていくという大きなデメリットがある。これに対し、「多売」→「薄利」なら、利益率を下げるのはあくまで「利益をお客に返す」サービスであり、「お客に利益を返せば、お客は又利益を持って来る」という好循環を生むことになるのである。

東京進出

目蒲線買収、経営は五島慶太に任せる
東京電燈(東京電力)の取締役に就任

キナ臭い時代

1932年東京宝塚劇場の設立の時は、日本は上海事変。満洲国建設、5・15事件など、戦争への動きが胎動していた時期であった。

民主主義と良質の娯楽は民度向上に欠かせない

大前提近代民主主義社会の確立には大衆(じつは中産階級)の民度の向上が不可欠である。小前提大衆の民度の向上には良質な娯楽を提供するのが最も手っ取り早くしかも効率的である。結論娯楽による民度の向上には、大衆が良質な娯楽に容易にしかも安価にアクセスできる大劇場を建設するしかない。

では、なぜ、ビジネスはかくあらねばならないかというと、それは最大多数の最大幸福の原理のみが良き社会を保証するからである。ごく一般的な家庭の成員全員がよりよき商品を享受しうるのが良い社会であり、特権的な人々だけしかその利益を享受しえないのは良くない社会なのだ。それは商品に限らない。芝居や映画といった娯楽もまた同じ原理によるべきなのだ。なぜなら、娯楽は生活を潤し、人間性を豊かにするからである。より多くの人がよりウェル・メイドな娯楽に接することができるのが良い社会なのだ

不思議な人小林一三(松永安左衛門との比較)

何か問題にぶつかると幾らでも智慧が出るという不思議な人物です。読んだり聞いたりした普通の学問から割り出した考えでなく天才的です。それが今太閤なんていわれる所以ですね。さながら湧くが如くいい智慧が出て来る。唯松永君とちよつと違うところは、智慧を出すことは実に偉いが、何か故障があればさつさと捨てゝ即座に第二の案を出して来る。之に反して松永君は同じことを実に粘り強くどうしてでも物にしてしまうという所がある、ここが二人の性格の相違ですね。小林君には所謂今日いう創意がある。それと用意周到。それからやはり甲州の人間だから、相当きかん気のところもありますね。

政治家としてズバズバ言う

1940年商工大臣就任 商工次官は岸信介
統制経済に対し「アカ」と非難し激突

共産党の平等が「特権階級の優遇」

1935年にソ連を訪問し、共産党の平等が「特権階級の優遇」と見抜いたため

政府役人では手腕が振るえない

国営事業の経営者はお役人である。役人にとっては、その事業の発展は、自分の所得と直接の関係がない。これに反して、民間事業家にとっては、その事業が発展すれば、それだけ自分の利益が増える。だから、彼等が、自分の事業を盛んにしよう、大きくしようとする努力は、一定の俸給で働く官吏とは較べものにならない。国営が民営に較べて、発展力伸張力のはなはだ劣るのは、この利己心、営利心といふ人間の本能から来る相違であるから何とも致し方がない。この間、小林の盟友でありライバルでもあった東邦電力の松永安左ヱ門は各所で講演を行い、軍部の統制派に追随する内務省や逓信省の官僚を「人間のクズ」と罵倒したが、これが軍部の怒りを買ったため、企画院総裁だった鈴木貞一の助言に従って隠退することを決めた。

時の総理大臣、近衛文麿は小林を罷免する

戦争中は、東宝映画を大いに発展させる

終戦の詔勅を「日本の新しい門出」と評価していた
1945年から国務大臣兼戦災復興院総裁を5ヶ月務める

戦後も統制経済が官僚によって維持された

近衛文麿の自殺

小林も戦犯となり、公職追放

共産党の東宝乗っ取りと対決

共産党はコミンテルンの指令のもと、東宝を乗っ取る
小林一三の経営への復帰で、共産党排除に成功

人に任せる経営を目指してきたが、早逝する人材も多く後継者には小林の意中ではないほとがなっているケースも多々ある
1957年 84歳にて死去

人生100年大人の学びからすると、ものすごく柔軟な考え方を持つ人。
豊かでありながら手軽な、楽しい日本人社会を目指すことを「事業指針」にしていたので、小林一三が手掛けた事業は奥が深く考えられている。
渋沢栄一、安田善次郎の先輩事業家たちとの時代の差を感じる。
今も我々に影響を与えている事業家でもある。
この本は、日本人のあり方の「構想」事業をする上での「哲学」難関位ぶち当たった時の「解決法」など多方面から学べる。大いに活用できる本である。

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