【日本人とアメリカ人】日本はなぜ、敗れつづけるのか 山本七平著 1993年刊 PHP研究所


この本は、昭和天皇が戦後30年目(1975年)に米国を訪問したときに、山本七平氏も(同行ではなく)米国で取材したものをまとめている。

1975年といえば日本の戦後の立ち直りがそろそろ世界に認められ、工業生産でも、日本なかなかやるなと思われた頃である。米国民の天皇への歓迎ぶりはとても好意的で、第二次大戦(WWII)の最後まで戦った敵国の皇帝という部分は取り上げられなかったという。

本の内容からはずれるが、それ以後の日本のたどった道を私なりにまとめると、次のようになる。

天皇訪問から10年後、1985年日本は半導体製造技術では世界の先端を行き、世界のTop10の中に4社が入るという強い製造立国であった。このとき、当時の経団連副会長(半導体製造業社長)は米国の経済団体会合で「日本が米国から学ぶものは無い!」と言い切った。

1985年前後から米国はいかにして日本を打ち負かすか徹底的に調査し、議論し、実践した。Drackerの多様化理論や、Harvardの企業戦略も同時に試行錯誤された。
日本はVogel先生のJapan As No.1で舞い上がっている最中でもあった。

それから10年、1995年はご存知のように、Internetの商用化、Intel Pentium Chip、Windous95、という3点セットが世に出て、世界はComputer/Softwareが新しい価値を創造する手段に変わった。

ここで、米国の採用した「多様化の容認」「皆が違うことをする(日本は皆が同じことをするので、それに対する戦略)」
SoftwareによるTechnology牽引へと舵を切る。

私が米国に来たのは、この1995年だった。
幸か不幸か、このときの私の受けたImpactはとても大きく、巨大な変化をうまく取り込まなければ「何事も発展しなくなる」という危機意識を持った。しかし、私の出身元は残念ながらその考えを取り入れるほど、危機意識は強くなかった。

山本七平氏の見た当時の米国は日本に優しかったと思う。
(あれだけ、敗戦の痛手を受けて頑張ったねという意味で)
しかし今は違う。金だけ持ってる、周回遅れの日本
失われた20年はきっちりと精算させられている。
この本の副題は「日本はなぜ、敗れつづけるのか」である。
米国は、きっちりと勝負のカタをつけて来ているのである。

2001年にシリコンバレーで独立して、先日19年目に入った。あっという間である。逡巡している間にも時間はどんどんたってゆく。人生100年時代の学びとは、常に残された今という時間に有効な知恵を生み出すものではないかと確信している。

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