【絵画で読む聖書】 中丸明著

この本は、著者が学生時代にキリスト教系の学校に行っていたことや、スペインや欧州に長年滞在したことの経験を踏まえ、聖書と、絵画とのつながりを「名古屋弁」で語る。

漫画と違って、説明は文章であり、引用される絵画もB/Wなので書籍としての派手さはない。しかし、語り口が「名古屋弁」であることと、中丸氏が(学生時代から)聖書を読み込んだ知識がふんだんに散りばめられている。

絵画ももちろん、マドリードのプラド美術館の作品を中心に、丁寧な解説がつけられている。しかし、中丸氏の面白さはさらに「現代人から見た聖書の矛盾」を「名古屋弁の本音トーク」に持ち込んでいるところである。

私は興味のあることは「とことんやる」主義で今まで来ている。それは、あるところまで深く追い詰めると見えてくるものが変わるからである。ローマというテーマで「ローマの休日」という映画を見て、面白いと思う。ローマに実際に言ってから「ローマの休日」をふたたび見ると「見えている場面が」「以前と違う」そして「違いの発見が楽しい」のである。これは、知識での理解が、実体験での理解が加わることで、質の違う体験になることを示す。

話を戻すと、中丸氏の話は、事実を検証しつつ、聖書の矛盾を取り上げ、本音ベースの現代人の見解を「名古屋弁で」語るものである。何しろ並行して読んでいる「創世記」は、寿命800歳とか90歳で子供が生まれたとか、話がついて行けない部分があるのだが、中丸氏の「名古屋弁」の解説は、矛盾を指摘しながら飲み込んでゆくという、実に愉快な構造になっている。

今回の新しい発見は、12使徒の中でキリストを裏切ったユダはイスカリオテのユダはガラリア人ではなかった。ほかは皆ガラリア人。使徒が12人というのは、当時のイスラエルが12部族だったから。ヨハネの黙示録にある、ハルマゲドンは地名であるとか、千年王国はナチも(自分たちが)作ると考えていたとか、新しい視点が沢山あった。

この「名古屋弁」のやり取りは、説得力もあるし、我々の興味を掻き立てる部分でもある。例えば、イエスはユダヤ教徒であって、自分が神であることを公言して磔になるわけであるが、中丸氏の言葉は、それに続いて、カール・マルクスもユダヤ教の反逆者である(そして人類に大迷惑をかけた)とまで広がりを持つ。実に愉快である。そうかと思うと、磔になったのはキリストの弟で、キリストは日本の青森に逃げたという話を入れてみたり、単なる聖書解読者ではできない奥行きが楽しめる。

多面的に原題の常識から聖書を読み解き、絵画の見直しにつながる点で、とても有益な著作である。

コメント

  • コメント (2)

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  1. rseki0508
    • SekiRyotaro

    面白い本ですね。

    • yagihiroshi
      • yagihiroshi

      わかりやすくて、おすすめです。
      マドリッドのプラド美術館に、また行きたくなります。

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