【久保有政編集】この国「深奥」の重大な歴史 2016年刊 今までの日本人中・韓渡来説をひっくり返す。戦後の洗脳との戦いだ

このデータと論理で私は、日本にユダヤ人がきたことを確信した。

久保有政氏は、キリスト教徒であり、古神道にも通じる人である。
そして、ユダヤ教の研究家でもある。

一方、山本七平氏は、聖書研究、中国の歴史、日本の歴史を通じて日本文化を論じた。
ベストセラーに「日本人とユダヤ人」(1970年刊)がある。日本人の行動をユダヤ人と比較する中で日本人の「水と安全はタダ」という意識を指摘した。
日本歴史に関しては、山本氏は「現人神の創作者たち」を書いているが、天皇制が出来上がった後の歴史である。久保氏が解析してきた天皇制の仕組みではない。
久保氏は、「日本人とユダヤ人」も含めユダヤ人ではない人が書いた本に対してはバイアスがかかるので批判的である。

データが大変化したここ15年

さて、時代は変わって、DNA解析が民族の系譜を特定でき、遺跡から発掘した資料の年代測定が精度を上げてきた現在、過去の事実の読み替えが可能となってきた。
久保氏がたどり着いたのは、記紀と旧約聖書の類似性、ヘブライ語から日本語解釈できる言葉の存在。(ヤーレンソーランとか、ハッケヨイとか)
ユダヤ同祖説ではなく、ユダヤ文化が日本文化に取り込まれた流れを説明している、それもユダヤ教の人々が日本に来て、調査した結果をまとめている。

私は、2年前だったら決して読まなかった本である。
しかし、読んでみると、論理的に考えて納得できる内容だとわかる。

ユダヤ10支族は日本に来たというユダヤ人の証言

① ラビ・トケイヤー 1997年

しかし、来るべき世よりは現生における生き方や、人生に、関心を集中させている宗教は「ユダヤ教」と「日本神道」
中世、欧州でペストが流行った時、人口の1/3が死亡。しかし、ユダヤ人はあまりかからなかった。ユダヤ人と日本人は水で手を洗う習慣があるため。(当時、ユダヤ人は井戸の毒をまいたからというデマが流された。)

エルサレム=平和の都=平安京

秦氏(太秦に住む)「いさら井」(イスラエル)井戸があり大辟(大酒)(ダビデ)神社はダビデを支那語で書いたときの表示。
天狗はユダヤ人

修験者の額につける「兜巾(ときん)」はユダヤの「フィラクリティー」と同じ

日本神道とユダヤ教には三種の神器がある。

草薙剣:大祭司アロンの杖
勾玉:マナの壺
八咫鏡:十戒の石板

聖書と日本神話の類似性

中国の開封には紀元前231年には来ていた。
中田重治氏の1930年代の研究では、古代日本に渡来した弓月の民=秦氏は、ユダヤ民族からなる移民であった。
八坂神社の祇園祭の山鉾巡業はノアの大洪水の後、箱船が漂着した日付(7/17)で行われる。

② 日本で神官を務めたヨセフ・アイデルバーグ 1970年代

日本語のユダヤ起源研究

直接対比できるものは、民謡のお囃子になっているものなどがある。

③ ラビ・エリヤフ・アビハイル 1985年以来3回来日

10支族をアジアで見つけ、イスラエルに送り返す団体「アミシャーブ」を設立。

④ アビグドール・シャハン博士 現存

私は中国の開封では、アシェル族の子孫を見つけました。ウズベキスタンでは、ダン族と、ゼブルン族の子孫の足跡を見つけました。ヒマラヤ山麓ではマナセ族を見出し、そして日本では、エフライム族を見出したのです。

「北ルートをとった10支族の人々の最初の者たちは、日本神話に登場する人物スサ(スサノオ)を隊長とする先遣隊と共に、紀元前660年頃、日本に到着したと思われる。彼ののち、神武という指導者を先頭に、北ルートの大軍勢が、老人、女性、子どもたちを引き連れてやって来た。彼は日本全土を占領し、日本の天皇家を設立した」

西暦2世紀の仲哀天皇の時代、秦氏の指導者の一人、太秦公・宿禰[功満王]が突然日本にやって来た。
それからしばらくして、応神天皇の時代に、同じく秦氏の「弓月王(融通王)」が少数の貴族たちと共に来日した。彼らは歓迎されるなか、同族の窮状を訴えた。

すぐに王は自分の民の所へ戻るが、その数年後、1万8680人もの同族の人々を連れて日本へ移住してきた。応神天皇が(朝鮮半島に)軍を差し向けて彼らを救い、移住を実現したのである」

「日本に来た秦氏の人々の文化レベルは非常に高く、また彼らは『ヤハタ』と呼ばれる唯一神の信仰を持っていた。『ヤハタ』の音は、ヘブル語で『ヤー・エハッド』つまり『唯一の主』という言葉に聞こえる」

「秦氏が住んだ大和地方(奈良)に…弓月嶽があり、その近くに大神神社がある。これは日本でも古い神社の一つで、その出土品には紀元前6世紀のものもある。その中には、イスラエル諸支族がイスラエルを追放された時代のものと、驚くほど似ているランプなども含まれている」

偶像崇拝しない神道、ユダヤ教

「古代神道では、偶像礼拝は完全に禁止されていたし、今日に至るまで神社は偶像、肖像の類とは全く無縁である。世界のこの地域にあって偶像も肖像も持たなかったのは唯一、神道だけである。
紀元6世紀に中国から仏教が日本に入り込んできた後も、神道の祭司たちの激しい戦いによって、彼らの神殿に偶像が入り込むことはなかった」

偶像を本殿に置かないのは、ユダヤ教と神道の重要な共通点である。そのほか神社の構造、祭、清め、穢れに関する風習、その他、古代イスラエル宗教との共通点は数多い。
博士によれば、伊勢神宮内宮の拝殿に上がる石段の角度と階段の寸法は、イスラエルの神殿への石段と同じだという。

学問で身を立てよ

1615年、徳川幕府の2代目将軍・徳川秀忠は『武家諸法度』を発布したが、その第一条には、文学的素養を養い、高潔な振る舞いをすること、と定められている。この時代『啓蒙された』ヨーロッパで、家臣にこのような条令を守らせた君主はいない。

一方、彼らの兄弟であるユダヤ人も、離散の地ではシナゴーグや聖書学校をそのまま共同体の学校となして、文字や文学を教えてきた。ユダヤでは、かつてエルサレムに神殿が建っていた時から、レビ族が多くの人々に文字とトーラーを教えてきた歴史があったのである。

博士によれば、日本にイスラエルの10支族が来ている最大の証拠は、神道なのである。10支族はシルクロード各地にその痕跡を残しているが、博士によれば、その痕跡は日本にこそ最も多い。

⑤ エリ=エリヤフ・コーヘン(元駐日大使2004−2007)

剣山も探索しTVでも大きく取り上げられた。

⑥ 久保有政氏の英語情報発信

Israelites Came to Ancient Japanという英語版ウェブサイトを立ち上げ、その根拠をいろいろ解説してきた。
日本神道と古代イスラエル宗教の風習、祭、神殿の類似や、日本古来の伝統文化とユダヤ伝統文化の類似、遺伝子DNAの近縁・同祖性などである。

YouTubeでの発信

イクスースには過去からのLibraryがまとめられている。

人生100年大人の学びでは、過去にしてきたこと(あるいは避けてきたこと)の見直しが起こる。
私は1994年にインドに自分の人生が書かれた「アガスティアの葉」を探しに行った。
見つかって、びっくりしたが、嘘だとわかるまで15年かかった。
逆に、ユダヤ人が日本人とつながっているという説はずっと避けてきた。
今回のブログは、避けてきたことを正面から取り組んだ事になる。
久保氏のロジックを崩すご意見がありましたら、ぜひお聞かせください。

残りの人生で、日本に恩返しできるかもしれないと思っています。

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