有名な本なのでお読みになった方も多いと思う。
「今を生きる」という生き方の内容を確認したくて手にした。
改めて心に響いた言葉を並べてみる
何も行動しないでいては意志なんてものありゃしない
自信はない、でもとにかくやってみようと決意する。その一瞬一瞬に賭けて、ひたすらやってみる。それだけでいいんだ。また、それしかないんだ。
意志を強くする方法なんてありはしない。そんな余計なことを考えるより、ほんとうに今やりたいことに、全身全霊をぶつけて集中することだ。
ひたすらそれを貫いてみる。はたからみれば、あの人は何という意志の強い人なんだろうということになるんだ。
相対的なプライドではなくて、絶対感を持つ
それが、ほんとうのプライドだ。このことを貫けなかったら、人間として純粋に生きてはいけない。
だから、自分は未熟だといって悩んだり、非力をおそれて引っ込んでしまうなんて、良くない。
坂本九の思い出
日航機の事故で死んだ坂本九ちゃん。彼が『上を向いて歩こう』の大ヒットで、人気絶頂の頃のことだ。旅先のホテルで偶然一緒になり、飲んだ。取り巻きもいたし、ファンが押しかけて来てサインをねだったり、大変な騒ぎだ。ぼくがふっと「人気者は大変だなあ」と、ほんとうに素直に同情して言ったんだ。
すると、彼は突然、今までの調子のいい笑い顔から、ぎゅっと凄く真面目な表情になり、ウォッと泣きだしてしまった。
未熟で十分
ほんとうに生きるということは、いつも自分は未熟なんだという前提のもとに平気で生きることだ。それを忘れちゃいけないと思う。
私もいつも行きづまっている
人間は精神が拡がるときと、とじこもるときが必ずある。 強烈にとじこもりがちな人ほど、逆にひろがるときがある。 ぼくだってしょっちゅう行きづまっている。 行きづまったほうが面白い。だから、それを突破してやろうと挑むんだ。もし、行きづまらないでいたら、ちっとも面白くない。
やろうとしないからやれないんだ
18歳でパリに遊学
パリについて、ルーブル美術館に入り、号泣した。
ナチのフランス侵攻の前に日本に帰り、日中戦争で漢口に送られる。
パリでの恋愛経験が、人生の結婚感ともつながっている。自由に独身
生きることは非合理だから情熱が湧く
科学主義者には反論されるだろうが、生命力と言うものは盲目的な爆発であり人間存在のほとんどと言って良い巨大な部分は非合理である。我々はこのようになぜ生まれてきて生き続けるのかそれ自体をを知らない。
存在全体肉体も精神も強烈な混沌である。そして我々の世界環境もまた無限の迷路だ。
だからこそ生きがいがあり情熱が湧く。人類はそのほとんど盲目的な情感にかけてここまで生き抜いてきたのだと僕は思う。
生命観が見失われてしまうことが問題
便利になりすぎて生命観が見失われてしまうことが問題である。芸術は人間のエネルギーの強烈な消費還元である。情熱を噴出させる歓喜は消費であり安らぎと充実による恍惚感は蓄積だろう。
生きると言う営みは本来無条件の目的
人間の生きると言う営みは本来無条件の目的であるはずだ。
何のためこのようにきたかそして生き続けているのか。本当言えば誰も知らない。本来生きること死ぬことの絶対感があるだけなのだ。
生身の対決が人生
進歩発展に役立つと言う条件づけられた気ではなく全く無性に夢を広げていくこと生身で運命と対決して喚起するのが本当の生命観なのだ。
そのような存在的充実感を取り戻すのでなければ何のためのテクノロジかと僕は思う。これはそのまま親の生き方人間性つまり芸術の問題である
自分を笑ってご覧
祭りを抜きに人間は語れない
人類が滅びたっていいじゃないか
今の時代一人一人が本当に生きているかと言うことが一番気になる
今日は、ほとんどの人がその純粋な生と死の問題を回避しまっている。だから虚無感に’なっている。
その瞬間にベストを尽くせば「それで良いのだ」
死ぬのもよし、生きるのもよし。ただしその瞬間にベストを尽くすことだ。目的に膨らみ、輝いて、最後に爆発する。
平然と人類がこの世から去るとしたらそれは僕には栄光だと思える。
私も自分なりに「今」を意識した人生を目指してきたが、改めて岡本太郎氏の生き方を読むと、抜けていた部分を感じる。
次を考える必要がないということである。
世界がCOVID-19で混迷を深める中、改めて今思い切って動くことを再確認した。
人生100年大人の学びは、たどってきた人生を今の視点で学び直す作業である。思ったことを書き残し、行動してゆくことにつながる。昔読んだ本も今読み返すと違って読める。自分の再発見が人生航路であることも確かだ。
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