【帝王学「倫理」20「犠牲」】杉浦重剛著 「倫理」より[YouTube]仁愛、忠孝、正直、信義は美徳です これらの美徳をまとめて崇高なものにするのは 身を以て実行すると言う「犠牲的精神」です それが大和魂の根底です

昔 天地の神々や祖先をお祭りする時、牛を供えて 終わるとこれを殺したのを犠牲と言います 殷の湯王の時代にこんなことがありました 宮廷の長官が占って言いました 「人を供えてお祭りをすべきです」と 湯王は答えて言いました 「私は人民のために雨乞いをするのである。 
もし、人を以て祈らねばならぬのならば、 私が自ら犠牲となろうではないか」そして心身を清めた湯王は白木の車を白馬に曳かせ、 身には白の茅を纏い、自ら桑林の野にて祈り、 六事を以て自らを責めて云った。

政治に節度がなかったか、人民が職を失ったのか、 宮殿が贅沢すぎたのか、女の請託が盛んなるか、 賄賂が盛んであるのか、 讒言するような人間が横行しているのか」と 
湯が祈りはじめると、 その祈りが終わらぬうちに大雨が降りだし その恩恵は方数千里にも及んだという このことで、「犠牲」という言葉は、人のため、世のため、 国のために一身を捨てる行為を言うようになった

 崇神(すじん)天皇は詔を下しました 代々の天皇が在位してきたのは 自分自身のためではないのです たくさんの人々のために、国を治めて 平和な国にするためなのです 仁徳天皇が徹底した倹約を行なったのも 犠牲的精神の表れです 鎌倉時代の話ですが文永十一年に蒙古が来襲しました 後宇多天皇がまだ幼少だったので亀山上皇は 深くお心を悩ませました ご自身で石清水八幡宮に祈願にお出かけになり 伊勢神宮にも直筆の手紙を出して身を挺して 国難に対処することをにお祈りを依頼しました 崇神天皇、仁徳天皇は平和時の対処 亀山上皇は国難の時ですが、国のために自分の身を 投げ出す「犠牲的精神」は同じです 明治天皇をはじめとする歴代の方々も その精神を継承して在位されました

景行天皇の時代四十年に軍臣たちを集め詔を出しました 「現在東国で暴動が起こっている 蝦夷も反乱して人を奪いにくる 人を送りこの反乱を鎮めたい」 軍臣たちは誰も声を上げませんでした 日本武尊(やまとたけるのみこと)が進み出て 「熊襲を平定してまだ年がったていませんが 東で反乱が起こっているのであれば いつかは平定しないといけません 私は疲れてはいますが、乱を平定しましょう」 天皇は大いに喜んで東征を日本武尊にお任せになった 日本武尊は兵士を連れて多数の反乱部族を撃破し ついに日高見国に着いて天皇の威光を示しました そして、武蔵上野(むさしこうずけ)などを回って 信濃に入り、愛知県に留まって伊吹山の賊を討伐しました この時から、病気になり、伊勢の能褒野(のぼの)で 痛みがひどくなりました。 すぐに、吉備武彦を使者にして天皇に 「私が死んでしまうのは構いませんが またお目にかかれないことが残念です」 と申し上げました 能褒野でお亡くなりになりました。享年三十歳 日本武尊は十六歳で熊襲の川上梟師(たける)を 打ち破って大変な苦労をされた 今回は東夷を平定するために萬里を駆け巡っています その武勇が素晴らしいのは言うまでもありませんが その身を国に捧げ切れる「犠牲的精神」 に溢れていることでこのようになれるのです

吉野朝の時代には忠臣、義士が多かったですが その中でも、楠正成父子はその代表です 湊川の戦いで正成と弟の正季(まさすえ)は 足利の大軍に五百騎で戦い敗れます 正成と弟の正季は民家に逃げ、自決する前に 正季は「七度人間に生まれ変わり敵を滅ぼす」 と言って互いに差し違えました 「犠牲的精神」の深さがわかります 他にも新田義貞の家来の小山田高家 柴田勝家の家来の毛受(めんじゅ)勝介 織田信長の家来平手政秀、赤穂の義士 あるいは維新前の勤王の志士たちなど 沢山あります

平民の世界では天野屋利兵衛が正義を重んずる人です 大阪北組の村長で、赤穂の浅野屋敷に出入りしていました 元禄の事件を聞いてすぐに赤穂に走り 義士の復讐を大石良雄から依頼されて快諾し 武器を調達して江戸に送りました 家族ですら知らせませんでしたが 刀鍛冶が奉行所に訴えがありました 利兵衛は捕らえられ拷問されますが黙秘します 討ち入りが成功した後事実をすべて告白します 役人はその正義心に感服して、死罪を免じて釈放し 享保十二年六十六歳で亡くなります 私が思いますに、我が国は歴代の天皇が全員 「犠牲的精神」をお持ちになって政治を行っていたので その気風が一般の人々まで広がり、天野屋利兵衛のような 正義の人を生み出したわけです

外国を見ますと 支那の漢の高祖の家来紀信、明の考孺(こうじゅ)たちは 命がけで君主に忠節を尽くしたのは 「犠牲的精神」で問題に対処してきた事例で これは、沢山例があります 私が思いますに、我が国は歴代の天皇が全員 「犠牲的精神」をお持ちになって政治を行っていたので その気風が一般の人々まで広がり、天野屋利兵衛のような 正義の人を生み出したわけです 外国を見ますと 支那の漢の高祖の家来紀信、明の考孺(こうじゅ)たちは 命がけで君主に忠節を尽くしたのは 「犠牲的精神」で問題に対処してきた事例で これは、沢山例があります

西洋では少し違う事例を取り上げましょう 今から三十年前のことです ドイツの細菌学者コッホはインドを旅行して コレラの病原菌を発見してドイツに戻って発表しました 当時、衛生学の大御所でベッテンコーフェルという人が その研究結果に大反対して、培養されたコレラ菌を飲みました ベッテンコーフェルはコレラにはなりませんでした この例は学術研究のために、自分の身を潔く 「犠牲」にしたのです

仁愛、忠孝、正直、信義は美徳です これらの美徳をまとめて崇高なものにするのは 「犠牲的精神」を持った行為なのです 孔子は言いました 志士や徳のある人は、「仁」を汚した生き方はしない 自分自身を殺して「仁」を行うことがある これが「犠牲的精神」を以て「仁義」を実践することです 明治天皇の御製に ことしあらば火にも水にも入らばやと 思ふがやがてやまとだましひ 何かあったら、たとえ火の中水の中でも飛びこむ この心が大和魂だ このように大和魂の根底は「犠牲的精神」なのであります

人生100年大人の学び

日頃「犠牲的精神」と言う言葉を使っているけれど、いろいろな徳の中でもこの精神が「大和魂」の根幹であることが読み取れた。自分がなすべきことを知ったときに、それを極限まで追い込むと、自分を賭して行うべき状況が来る。それを思い切ってやるのが「犠牲的精神」天皇が自ら常に心がけているから「大和魂」になった

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