「五條御誓文」は日本が世界と伍してゆくために 明治維新の政治の基本方針を定めたものです。
慶應三年正月に明治天皇が皇位を継承されました。
十月に、十五代将軍慶喜が大政奉還しました。
頼朝が鎌倉に武家幕府を開いて、七百年以上 朝廷に政権が戻ったのを機に公家、武士の政治指針を 慶應四年三月に「五條御誓文」として制定しました。
明治天皇十七歳 注)慶應三年は西暦1867年 慶應四年は明治元年
「五條御誓文」
一、会議を広範囲で行い、全て多数で議論して決めること。
門閥横行を排して、国民の意見を聞くために 町村、郡(県)、帝国、の議会を開いて 大きなことから小さなことまで議論して決める。
二、上下(じょうか)心を一にして国家の経営を 行うこと。
地位が上の人も、下の人も一緒になって 政治経済を運営してゆくこと。 国は、公家のため、武家のためではなく 国民全てのためのものだから、 心を合わせて、運営するのが理にかなっている。
三、官武一途、庶民に至るまで、各人がその思いを達成して やる気を持てるようにすること。
公家も武家も一緒に自分が思ったことを達成すること。 徳川時代の、窮屈な社会からの脱却です。 現在の社会では、公家は華族として国政に参加し 庶民は、官吏や軍人、議員などになって 昔の武士と同じように政治に参加している。四民(士農工商)の権利が平等になった成果です。
四、旧来の悪い習慣を廃止して、正しい道理で 考え行動すること。
悪い習慣の例を挙げますと 三代将軍家光の時代の、鎖国があります。 キリスト教の絶滅を狙ったのですが これで、日本は西欧に遅れてしまいました。 江戸時代は、身分制度で政治に参加できる人間が 固定されていました。 明治政府になり、西郷、木戸、大久保のような身分の低い人々が 政治に参加するようになったのは維新おかげです。 世界に雄飛するためにも人材登用は重要です
五、知識を世界に求め、天皇の国家統治の基礎を強化すること。
これは、長所を取り入れ、不足を補うという考えです。 我が国の道徳観念は、西欧より優れていますが、西欧の理化学の知識は、我が国には欠けています。 これを補って、国の基礎を興そうという趣旨です。
現状、軍艦、兵器、弾薬など西欧の理化学の応用ですし 鉄道、電信電話、鉱山開発、冶金技術もそうです。 しかし、西欧技術を崇拝することではありません。 菅原道真のいうところの和魂漢才のように 「良いとこ取り」すべきなのです。
そして、明治天皇は
「私は、神に誓ってこの方針を決め、率先して実行し 国民の生活を守るので、皆さん協力してください」 と確固たる決心で実行されました。
それから、五十年たちましたが、政治、法律、軍事、学術など いろいろ改革がありましたが、すべて根元は「五條御誓文」 なのです。
「五條御誓文」と同時に、国民への自筆の文書を お出しになりました。 明治元年三月十四日
「まだ若くして、国政という大きな仕事を引き受けました。 世界の列強にどうやって対応すれば、ご先祖の意思に添うのか 毎日考えております。 まず、私が率先して困難に立ち向かいます。 上下は対立せずに、協力してください。 世界ははるかに進んでいるので、昔の悪い習慣は捨ててください。 世界の列強に、日本を征服されては御先祖にも、国民にも 申し訳が立ちません。 日本を安泰にして盛り上げるのが私の使命です。」
人生100年大人の学び
五條御誓文、教科書では習ったが、明治天皇が十七歳で、率先垂範の思想で取り組まれたことが、明確に表明されていることに、私は不勉強を恥じた。
明治という、大変革を、正面から取り組んだ素晴らしい方だと思う。
「天皇自らが、国民とともに」というこれが大和心と呼ぶべきものだと思う。