【帝王学「倫理」第三十九講 「鐵」】杉浦重剛著 「倫理」より[YouTube]日本古来の鉄は、名刀を生みました 砂鉄原料でした 鉄鉱石による産業の鉄を量産して強い国家を作り 鉄の意思で国を引っ張ってください というお話しです

藤田東湖が正気の歌で 「鉄は百回鍛えられて兜を切るほど鋭利になる」 と言っています。 鉄は日本人の精神が現れているので 実用上の価値と、精神的な意味をお話しします。

西洋の歴史家は 文明を石器時代、銅器時代、鉄器時代と分けます。
石器時代は、剣も斧も鏃も石で作った未開時代で 遺物は今でも世界中で見つかっています。
次は銅器時代ですが、これは武器はすべて銅製でした。 秦の始皇帝の時代は今から二千百四十年前ですが 銅器時代だと思われます 。十八史略に 国中の兵を咸陽に集めて、銅技術者に武器を溶かして 二十四万斤(120トン)の銅の塊ができた とあります。
鉄器時代は、中古世から現代まで続いています。 支那では、漢の時代に「塩鉄論」という書物が 塩と鉄の専売による経済的な問題を取り上げて 政治の得失を議論しています。

現在は炭素鋼が国の工業原料として必須です。
1913年の統計では イギリス:1500万トン/ フランス:2200万トン/ ドイツ:2700万トン/ 合衆国:3000万トン。
現在では、石炭も工業の発展につながっています
イギリス:2億6000万トン/フランス:4000万トン /ドイツ:1億7200万トン/ロシア:2600万トン /合衆国:4億7700万トン/日本:1700万トン 合衆国が鉄と石炭の産出量が最大で 英国は国は小さくても、石炭産出が多いので 工業力が高いことがわかります

我が国では、広島県、鳥取県、島根県の山陰側が 古くから砂鉄の産地で、最近では 北海道、秋田県、岩手県、宮城県などから砂鉄が採れます。
我が国では昔から、武術を尊ぶ精神がありましたので 武器の製造は古くから鉄が用いられました。 京都の北野神宮宮司の山田新一郎氏の著書 「神代史と中国鉄山」には 「我が国は鉄器の源流の国で、これも萬世一系である」 とあります。
神代と上古の剣は別として、文武天皇の慶雲元年には 砂鉄で剣が作られた記録があります。 その後、刀剣の鍛冶技術が発達して 伯耆の国に安綱、真守(さねもり)父子 備前には実成(さねなり)友成父子 陸奥に文寿(もんじゅ)などの名工が出て 以後、日進月歩で、鎌倉時代になって 岡崎正宗、郷義弘などの名人が輩出しました。 足利時代以降は、名工は出ませんでしたが 刀剣の鍛治は盛んでした これは、昔から武道を尊重して刀剣を重要視して きたので、刀剣は武士の精神を表しています

刀剣の他には、鉄瓶などの鋳物も発達しましたが 明治以降の日本では、旧幕府時代とは異なり 手細工のものが、工場組織で作られ、しかも 小銃や大砲、その他軍艦の建造も行われ 鉄の需要が急増しました。 残念ながら我が国の鉄の産出量は少なくて その需要を満たすことができません。 外国から輸入することで支那と条約を結んで 湖北の大冶(だいや)の鉱山採掘権を得て その鉄を、九州若松の製鉄所で洗錬しました。 むかし、大冶鉱山を見たことがありますが 山丸ごと鉄の塊で、無尽蔵のようでした。

我が国は昔から沢山の生産物がありましたが 工業生産という点では欧米に遅れています。 しかし、お隣の支那には無尽蔵の鉄鉱石の山があるので これで、我が国の工業の発展は期待できます。

以上、鉄に関する実用上のお話です それでは、話題を変えて 鉄に関する有名な故事をご紹介します 英国革命ではクロムウエルの軍隊は鉄騎兵(アイアンサイヴ) と呼びます。向かうところ敵なしで勇名を轟かせました。
ワーテルローでナポレオンを破った ウエリントン公は、鉄公(アイアンデューク)と呼ばれました。
ドイツの大政治家、ビスマルクは鉄血宰相と呼ばれています 政治混乱の時に、プロシアを統一した功績です。
鉄の本質は固くて強いことです。
英語でIron willと言います。 志操堅固は、鉄から学ぶべきです。

人生100年大人の学び

鉄の歴史で、刀剣の鉄は最高品質の鉄と知られている。工業化で大量生産が必要になると、原料の確保が競争力の原点となる。鉄のつく人を列挙して、硬い意思で国々を牽引し、興隆させたことを述べているところは帝王学としてのツボである。

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