【帝王学「倫理」最終講 「勧善懲悪」】杉浦重剛著 「倫理」より[YouTube]「勧善懲悪」は孔子がみずから「春秋」でまとめました 善が栄え、悪は滅びるという事例を取り上げることで 道徳の世界の規範が、人々の、小説や演劇などまで広がり 世間常識の維持、向上にも貢献しました 明治以降、西洋の、真・善・美が流入して 日本人の感性にも変化が見られたときのお話です

「勧善懲悪」の言葉は、 孔子の「春秋」の解説書「左伝」 から出ています。 「春秋」は孔子自らが推敲していますが 「勧善懲悪」=悪い人が衰え、良い人が栄える ことです。 孟子は 「孔子が春秋を書いたら、不正の役人や盗人たちが恐れた」 と書き残しました。

今日の歴史では、文明の発達や、大戦の勝敗などで、 人物が羅列されると、善悪邪正、大小曲直などで 表現するので、善者は光り輝き、悪者は後世に醜を残します。 それを「勧善懲悪」として後世に残したのです。
特に、支那の正史は個人の伝記を中心に構成されているので 「勧善懲悪」の構成に向いています。 さらに広く流行している演劇や小説も、名作と言われるものは 「勧善懲悪」の話が多いです。
人間世界は複雑ですが 善が栄え、悪が滅びる話が人気があります。

西洋では、「イソップ物語」のように、教訓を中心とした 文学もありますが、演劇小説では真と美を追求するので 支那や日本と、内容が異なっています。
支那で有名な「水滸伝」は「勧善懲悪」ですし 名著「西遊記」は荒唐無稽の話ですが、内容は奥深く 人生の進む道を示しています 。もちろん「勧善懲悪」の流れになっています。

我が国の戯曲作家に、元禄の近松門左衛門がいます。 たくさんの作品のほとんどは「勧善懲悪」です。 聴衆は、舞台で善悪邪正の栄枯盛衰を観ます。 善には涙を流し、悪には怒り罵倒します。 これは、心が善にむいて、悪を嫌うからです。 このような演劇芝居が流行するのは ある面では弊害がありますが 「勧善懲悪」の精神効果によるものです。
演劇は、慶長年間、出雲のお国という人が 京都で始めたものです。 お国歌舞伎と言います。
演劇よりも普及している小説も、初めの頃は 「勧善懲悪」は曖昧でしたが、曲亭馬琴が出てきてから 「勧善懲悪」を骨子とした大作を出しました。 「八犬伝」「弓張月」などがあります。 俊寛僧都島物語の巻頭で、次のように語っています。 世の中が、善因善果、悪因悪果であることを「勧善懲悪」 で書いて理解していただきます。
仏教の地獄・極楽、講談の忠臣・義士も同じで 「勧善懲悪」を教えるものです。 小説は、女性や子供のものでしたが、馬琴が出てから 「勧善懲悪」の教えが道義にかなうことを理解した 学問のある大人も読むようになりました。
「勧善懲悪」の精神で書かれたものが読まれることは 世間常識の維持向上では効果的でした

しかし、明治以後、西洋文明を沢山取り入れることで 演劇小説も一変しました。
西洋人は、真理には3つの要素 「真・善・美」があるとしました。
真は哲学者、科学者、 善は道徳家、宗教家、 美は詩人、文人 が中心です。
詩人、文人の作品は美を追求しているので 善には拘りませんので、道徳的にはあい容れません。
我が国でも、演劇や小説に美を表現するために 善を無視することも行われています。 世間常識に害になることもあります。
美は人間の趣味を優雅にすることは間違いありません。 しかし、善を無視したり、善と反する時には 気持ち悪くなることもあります。 ですから、美と善は一体であるべきです。 例えば、親に孝行するのは善です。 孝行な子の心を上手に書き出すものは美です。 ここで、善美が一致します。
善美の一致は大変重要で、両者が一致して初めて 世間常識の維持向上に役立つわけです。 やはり「勧善懲悪」が根底なのです。

人生100年大人の学び

勧善懲悪という組み立てが、エンターテイメントの根底にあるのは現代でも同じで、この御進講では、エンターテイメントも西洋文明の大量導入により、徳育と内容の解離が、時代の問題だとしている。古くて新しい問題であるが、心の価値基準を決めることが先決だということが見えてくる。

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