San Antonio, TXは発展中の街です。
大きなコンヴェンションセンターを作り、イヴェントで集客することでも成長しています。最近は、観光にも力を入れ、Downtownの運河沿いを、お洒落な遊歩道にして、River Walkという、グルメ、ファッション、お洒落リゾートを演出しています。もちろん、運河には観光客向けのクルーズ船も就航し、観光客を楽しませています。
アラモの戦いは、米国西進政策の発端事件
アラモの戦いは、1836年3月、Texasの義勇兵がメキシコ領を占領しようとして、メキシコ正規軍と戦い、全員討ち死をした事件。その後米国は「Remember the Alamo」を掲げ、10年後米墨戦争では戦いの合言葉にした。
「Remember the Alamo」が米墨戦争の合言葉
米墨戦争の後1847年1月13日に調印されたカフエンガ条約で、カリフォルニアでの戦いを終了した(カリフォルニア征服)。1848年2月2日に調印されたグアダルーペ・イダルゴ条約は戦争を終結させて、アメリカにカリフォルニア、ネバダ、ユタと、アリゾナ、ニューメキシコ、ワイオミング、コロラドの大半にテキサスと同様の管理権を与えた。アメリカはこれに対し1825万ドル(現金1500万ドルと債務放棄325万ドル)を支払った。
メキシコの次はスペインとの戦い
その後米国はスペインと戦い、キューバやプエルトリコ、太平洋ではフィリピンを奪います。
日本とは、太平洋戦争で太平洋で激突
これが、太平洋戦争で日本との戦場にもなるわけです。 歴史の出来事を知れば知るほど、現在とのつながりがよくわかります。
人生100年大人の学びの視点
実は、Alamoを訪問するまで、私は戦いは、Texas開拓者とインディアンの戦いだとばかり思っていました。(恥ずかしい話ですが)。’
人生100年時代の大人の学びは、過去の認識の修正も入ると思いました。
もちろん、この戦いが、米国の西進政策で、太平洋戦争にまでつながるということも学ぶことができました。とてもありがたい学びの機会だと思いました。