【杉浦重剛 帝王学「教育勅語06」】[YouTube]朋友相信シ :友達とはどんな人か 生死を共にできる人

朋友相信シ

1.朋友の字義
同門を「朋」と言い、同志を「友」といいます。 朋友とは、同窓の学友と同志としてつながった人々であるので 至誠で欺くことがないようにすべきです。

2.友を選ぶ必要性
古今東西、人の賢愚は友によると言われている。 孔子は「自分より劣る人を友達にするな」と言っています。 良い友達を選んで、切磋琢磨すべきでです。

3.信と友情の継続
良友が必要であることは誰でも知っているが、「信」がないと 交友はできない。 「信」とは「至誠」の心で人と交わることです。 そうすると、地位も超えて永遠の継続の付き合いになります。
友人の法学博士、穂積陳重(のぶしげ)はこう言っています。
「孝」が最初に発達する徳で、「孝」で一家が成立する。
「忠」で国家が成立する。
「信」で人類社会が成立する。
「信」は誠心誠意が基本です。
誠心誠意で父母に仕えると「孝」
君に仕えると「忠」
人と交わると「義」になります。
政治の要は「信」です。「信」は文明の徳で、百徳の基本です。
人の人としての所以です。

①細井廣澤(こうたく)と堀部武庸(たけつね)との友情
細井廣澤(1685−1735)は非凡な儒者で、小さい時から字が上手だった。後に、柳沢吉保に仕えた。
廣澤は、皇室を尊敬して保元の乱(1156)以降の歴代天皇陵が荒れているのを探し出して3年かけてすべて修復した。
その友人、堀部安兵衛武庸(1670−1703)と知り合って友情を温めた。
「先哲叢談」には、討ち入りの前の晩に 廣澤がどれほど武庸を気遣っていたかが書かれている。 廣澤と武庸は、剣術を堀内源太左衛門に学んだ同門である。 討ち入りの前の晩、廣澤は武庸のために送別会を開き、大石良雄以下46名は源太左衛門宅に集まった。
廣澤は鶏卵を数十個持参した 。良雄は鶏卵を打ち砕いて勇気を見せ、武庸は激しく興奮した。 廣澤は漢詩を吟じ、友情に感謝して武庸と別れた。
討ち入りの夜、廣澤は夜中中吉良邸を塀越しに見た 明け方、念願遂げたとの連絡が入り、廣澤はすぐに志士たちを追うも、永代橋で武庸とあと五人に永遠の別れを告げた。

②ペルシャ国の友情に関する話
昔、ペルシャに一人の子供がいた。15歳になって父親に「自立したのでこれから外の厳しい世界に出て放浪する」と言いました。
父は「それはいいだろう。将来身を立てようとすれば友人が大事だ。これが人生で一番大事なことだ」と言って送り出しました。
1年経って戻ってきて、父は迎えて言いました「友人は見つかったか」子供は「たくさん見つけました」と答えました。
父は「人の心は変わりやすくて、親友を見つけるのは大変だ。こうやって調べてみよう」と言って、飼っている豚を殺して袋に入れました。血が滴っています。それを子供に背負わせて、友人のところに行かせました。 そして「問題が起こった、私の父が人を殺して 逮捕されそうです。助けてください」と言わせました。友人は言い訳して、それを断りました。他の友人も同じように断りました。困っていても救ってくれないのです。 父は「この通り、親友を得るのは難しい。
私の親友のところに行ってみるから、様子を見なさい」といって袋を担いで父の親友のところに行きました 「我が家の子供が、人を殺してしまった。助けてくれ」と言ったところ主人はびっくりして「まず、その袋を隠せ。その後子供が見つからないようにして、策を考えよう」といいました。 父は子供に、これが親友だと諭しました。主人に事情を話して豚を料理して乾杯しました。真の親友は生死を共にするのです。
「友は世界のすべての宝よりも貴し」と言われる理由です。

③廉頗(れんぱ)藺相如(りんしょうじょ)刎頸の交わり
廉頗は趙の武将で、藺相如は廉頗より上の位の高官でした。 廉頗はいつも「私は武功があるのに、藺相如は口先だけで 私より位が高い。もともと下層階級なのに私はその配下はいやだ 会ったら、恥をかかせてやる」と言いました。
藺相如はそれを聞いて、毎朝、病気だと言って廉頗と顔を合わせないようにしました。 従者が藺相如に「廉頗がいつも悪口を言っているのには私たちも恥ずかしい次第です。高官もそうでしょう」と言うと 「隣の秦が強大で、趙に攻めて来ないのは、私と廉頗がいるからだ。私が争わないのは、国のためで私の恨みを晴らすことではない」 廉頗はこれを聞いて恥じ、藺相如に詫びました。
それから二人は刎頚の友となりました。

④伯牙(はくが)鍾子期(しょうしき)絶絃(ぜつげん)の交わり
列子に、伯牙は琴を弾いて鍾子期に聴かせていました。 鍾子期は「素晴らしい、どっしりして山のようで、気持ちは流れる水のようだ」「洋々として江河のようだ」など評しました。 伯牙が、思った通りに鍾子期は評してくれました。 鍾子期が亡くなると、伯牙は琴を壊して、二度と弾くことはありませんでした。聴き手がいなかったと言うことでしょう。

⑤紀友則(貫之の従兄弟)の歌
「君ならで 誰にか見せむ 梅の花 色をも香をも 知る人ぞ知る」
梅の花の色香りもわかっている人にしかわからない。
友人とはそう言うものです

人生100年大人の学び

杉浦帝王学の「友人とは」と言う定義はとても厳しい。自分を切磋琢磨してくれる人で、信を感じて、裏切ることはない。永続的に成長できることも含まれている。人生100年大人の学びが、目指す方向と一緒である。自分を磨き上げたいものだ。

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