【禁忌の聖書学】山本七平著 1993年刊 新潮社 聖書に関する山本七平氏の遺稿 碩学の知識は知るほどに興味が湧いてくる

が、時間は有限であることをしみじみと感じることでもある。

【禁忌の聖書学】目次

【禁忌の聖書学】を読んで山本七平氏の頭の中を探検することが、私にとってのキリスト教の理解であると思った。各章ごとの緻密な事実の検証が私のキリスト教理解のかけている部分にどんどん課題を与えてくる。

まず、裏切り者ヨセフスの役割、でも触れられているが、後世の芸術に与えた影響はキリスト教会公認の聖書よりもヨセフスの「ユダヤ古代史」によるものが多いという。
さらに、ユダヤ人賢人会議で公認から排除された、ヨセフスが主導したギリシャ語訳の「70人訳旧約聖書」も後のルターの宗教改革で「公認」され宗教革命へとつながってゆく。
ヨセフスは、宣伝のうまい有能なユダヤ人で、ローマに滅ぼされてもウエスパシアノス、ティート、ドミティアノスの3代の皇帝に仕える。そして、彼の遺作が現代まで伝えられ、それが「正統」と位置づけられる。
歴史は「個人が作る」ことを見本にしたような人である。

この中で、ギリシャ・ローマ文化全盛の中で、ユダヤ教徒のヨセフスの布教活動を、山本氏は次のように表現している。P.20
「ちょうど日本人が自らの歴史と思想史を、相手が拒否反応を起こさない形で、また立派な英語で、超一流の出版社から、最高権威のお墨付きで、米国に出版するようなこと」と表現している。
また、「ユダヤ戦記」も彼の書いた著作であるが、ローマとの戦いにユダヤの民が立ち上がった時のヨセフス気持ちを「戦前の日本の知米派(米国留学をして米国の実力をよく知っている人々)の感覚と同じ」と例えている。あまりの実力の差が大きいことを知っているが、民衆の勢いの前では、もみ消されてしまったというわけだ。(ユダヤも日本も手痛く負けるわけだが)

マリアの”処女”で”聖母”かについては、70人訳の聖書の”成熟した女性”を誤訳した可能性を指摘している。普通の女性では後世の多数の”受胎告知”名画は存在できなかったであろうし。

旧約聖書の「ヨセフ物語」は最古の小説としている点も面白い。読んでみてよく分かるし、聖書とは戒律集ではなく人生記録であることもよく分かる。
後半も、ユダヤ教の中の宗派による婚礼儀式の違い(西欧・東欧型と中東型)や、私が今まで知らなかったことの連続。
唯一わかったことは、西欧文化、民族はヨセフスの著作を中心に共通認識でものを考えているということ。

山本氏は1921年生まれ、1991年に亡くなっている。昭和という時代の急成長した日本経済の終焉、社会主義国の崩壊のところで亡くなった。
あとがきに、山本良樹氏(七平氏の子息)の言葉にあるが、山本七平氏は「左右のイデオロギーにとらわれない天皇論」「日本的な資本主義精神の系譜」そして「独自のイエス」を書きたかったという。
「左右のイデオロギーにとらわれない天皇論」はほぼ書き終えられたと私には思える。(後日ここでも紹介する予定であるが)
「日本的な資本主義精神の系譜」これは以前のブログ【日本的革命の哲学】【勤勉の哲学】にまとめられている。これが、戦後の驚異的な日本経済発展精神の解明になるところであったが、客観的に見れば、外需と金融政策がその実態であるがゆえに、続編は書かれなかった。
「独自のイエス」は【イエス伝】として、Online版が山本良樹氏の手によってまとめ上げられている。


集大成としての「日本人論」「キリスト教を通じた西欧社会の理解」において山本七平氏の果たした役割は巨大である。人生100年時代の大人の学びで、このような知識基盤の構築に取り組めるのはやりがいがある。


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