【空気の研究】山本七平著 1977年刊 文藝春秋社 文庫 Kindle版あり

1977年は、私が就職した年でもある。私は山本氏の「空気の研究」を「日本人とユダヤ人」の次に読んだ。「空気の研究」は、30代で読んで「そんなものか」という印象しかなかった。しかし、歳を重ねて最近読み返すと「中身が違う」のである。これはかなり驚きである。簡単に言うと「経験を積んでから読むと、経験のないときよりも深みが違う」のである。これは、学校で学ぶということと、社会で学ぶことの差でもある。人生100年時代の学びとして、エキサイティングな部分でもある。

冒頭、山本氏は「日本の道徳は(知人・非知人の)差別の道徳である」と編集者のインタビュアーに答え、びっくりさせる。P.13 インタビュアーは、そんな言い方はできるような「空気ではない」と答える。山本氏は「空気の存在」を知ることになる。

そして、話は戦艦大和出撃の時の、軍令部次長 小澤治三郎中将の「全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う」という引用になる。
(文藝春秋昭和50年8月号「戦艦大和」より)
さらに、出撃を無謀とする人々には「具体的な細かいデータがあった」、しかし当然とする人々には正当性はデータはなく「空気」が決定していた。しかも、表現は空気によって「そうせざるを得なかった」となる。すなわち、誰もが責任を負わない形になっている。山本氏は、軍部にあったのは、命令に背いた罪の「抗命罪」と空気に逆らわないための「抗空気罪」が蔓延していたと言い切る。これは、軍部だけではなかったが。
そして、空気によって進められた事柄は、空気が覚めるとなぜこんなに騒いだのか「何も残さずに」消えてゆく。(太平洋戦争もその一つ)

明治はじめの西南戦争が「政府による」空気醸成の成功例である。
大西郷の扱いが、政府の最大の関心事。
政府軍(官軍)は農民徴募で、武士には無関心:正義・仁愛
賊軍は武士階層:不躾、残虐集団
武士に無関心な層を巻き込むために「心理的参加」「戦意高揚記事」が必要となり、それを行った。(新聞の見出しにも「皇軍大奮闘!とか「敵軍壊滅、当方損害軽微なり」とか)

空気支配の本質は「対立概念で対象を把握することを排除すること」になる P.50  西南戦争で言えば
1.官軍・賊軍を善悪で把握する(目的に対する対立概念ではない)
2.官軍を善として把握し、賊軍は悪とする(善の絶対化)このことが「空気に完全に支配されるということ)P.51
(注 これは、太平洋戦争中の軍部キャンペーンと重なっているではないか:この部分私の追加)
教育勅語や明治天皇の御真影など、何ら法的根拠もないまま学校に強制する仕組みはその最たるもの。内村鑑三はそれで一高を負われる。P.63

歴史的に見ても、日本人はアニミズムの世界で物事を考えるので「おっちょこちょい」である。それが、現代まで続いている(この著作は1977年であるが)
「現人神」を作っったのも「空気」
作った人間が「人間宣言」をさせない限り、空気支配は終わらない。P.73

一方、ユダヤ人は神の名を口にしたものは死刑(神が絶対者)そして、対立概念を把握した上で、多数決で決定。(空気支配は排除される)これは、民族の興亡がかかる決定などでの無責任体制排除のための歴史的知恵でもある。
そして山本市によれば、聖書とアリストテレスで訓練すると1000年でアングロサクソン型民族ができる。 P.79

太平洋戦争では「敵」「味方」が絶対化された。そして「敵」という概念からしか米英を見なくなった。すなわち、敵に振る舞わされる戦いしかできなくなった。P.91

一方、空気支配を終わらせるのに日本では「水」が使われた。「水を差す」がそれである。空気で全体を拘束している状況に「水を差す」と沈黙する。P.91
太平洋戦争開始前、日本には「お金」も「石油」も無かった。しかし、誰もそれを口に出して「水を差さなかった」という。「全体空気拘束主義者」に抑え込まれてしまった姿である。(海軍の開戦時、戦いは半年は持ちますがすぐに有利な停戦に持ち込むことが肝要、もいつの間にかウヤムヤになっている)
日本人の客観的状況論理と個人責任回避は「自己無謬性」=「無責任性」
につながる。非人間的評価基準から生まれたのが「日本的平等主義」
西欧兵の捕虜収容所でのリンチ4% 日本兵の捕虜収容所内のリンチ 27%異常に高い。状況に支配される日本人を表す。
徒競走で全員同時ゴールイン、オール3で良い子 P.110−120
戦前、軍部が一番毛嫌いした(弾圧した)のは社会主義者ではなく自由主義者。見たことをありのままに見たといい、思ったことを行動する人であった。空気の構造を(水を差さずに)壊してしまう存在だから。
空気とは劇場性(演者と観客が虚構を認める)が拠り所なのである。P.162


西欧科学と現人神との乖離。進化論ではサルが進化して人間になる。現人神の祖先はサルか?それとも進化論の否定か?P.177
エリートは「民はこれに依らしむべし、知らしむべからず」へと動いてゆく。
明治初期は「空気」は恥であったが、昭和に入り「その場の空気」「あの時代の空気」に拘束された。P.221
あとがきにもあるように、山本氏も「人間の進歩は遅々たる一歩の積み重ねである」とまとめている。私自身の理解度を評価してみると、最初に読んだときにはこの本の3割、現在は7割の理解であろう。知的な戦いを挑み続けることが、人生100年時代の学びの役割でこれは決心の問題である。

山本氏の残された著作は、現在の我々の「本質的な課題」を提示し「現実に起こっていることへの対処法」を示している。すべてを「相対化させ」「理解し」「意思決定を図る」これができていないのがわれわれ日本人である。このことを念頭に入れて、山本七平氏を読み解いてゆきたい。


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